1965年
迫田は九州の南端、鹿児島の産だ。九州といえばバンカラが男性のシンボルといわれている。だが迫田はおよそバンカラには縁が遠く、よかにせどん(いい男)である。色は黒いが面長で、目がパッチリ。鼻筋の通ったハンサムボーイである。一見、線の細さも感じさせるが気性の激しさは超一流。「好きな色は赤」そんなところにも迫田の気性が現れている。照国高(鹿児島)から神奈川大に進学したが、たった半年で東京の試験を受けた迫田。三十八年の十月だった。「プロでやる。ただそれだけだったんです」当時を思い出していつも迫田はそういう。その迫田がこの夜東映を相手に完投シャットアウト勝ちした。もちろん迫田にとって初めてのことだ。この夜がプロ入り通算十六試合目のマウンドー。運のいいやつ知らない人はそう思うだろう。だが迫田には完封できるデータがそろっている。いまから約一ヶ月前、正確にいうと三月二十七日後楽園でのオープン戦東京対東映戦で迫田は東映の誇る左打線を25打数2安打に押え込んで、完封勝ちした。2点とられたが、それは野手の失策が原因、自責点はもちろんゼロだった。汗をふきながら引き揚げてきたヒーロー迫田もこのへんから話がはじまる。「確かにあのオープン戦が役に立ちました。張本さんはちょっとこわいけど、ラーカーは穴がありますしね。左打線がものすごく多いんですが、そんなに気にしませんよ」ぐるっと取り囲まれた迫田は、まるでしかられた子供のように、照れ臭そうに話す一面もある。「八回はどうなることかと思いました。でも長南を併殺に打ちとった時これでいけると自信がはじめてわいてきました」健康そうな白い歯をみせて笑ったのはそのときがはじめてだ。二月十五日で二十歳になった迫田。「もうおとななんです」だからこのくらいやってもおかしくないでしょうといいたげだ。昨年迫田は全部救援。そして0勝1敗。それも東映戦で記録したものだが、この夜はオマケつきで東映に仕返しをした。「やっぱり気分はいいんですね。さっそく連絡するところ?ないですよ。きょうはテレビがあるからオヤジは見てるでしょう」とあっさり。青木チーフ・スカウトが今シーズンからつけている勤務評定に、今シーズン最高のプラス5が迫田についたのも当然である。