1971年
藤田はことしの六月中旬のある日突然 、胃に激痛を感じた。医者の診断は「出血性胃カイヨウ」だった。完治には手術が必要といわれ、その代わりメスを入れたら「二度と野球は出来ない」と条件をつけられた。からだをとるか、野球をとるかー。日ごろの不摂生がその原因とはいえ、初めておとずれた人生の岐路に悩んだ。「オレから野球を取ったら何も残らない。医師に、頼むから野球をやらせてくれ、と頼んだ。からだよりも野球を選んだんですよ」と告白する。広島商から南海を経て阪神へ。ことしで七年目。南海入団のときもらった約八百万円の契約金で広島に家を建てた。いま野球をやめても住むところはあるが、貯金はなし、何の職業を選んでいいか見当もつかないという。「二カ月入院して出てきたら体重が10㌔も減って68㌔しかなかった。力もなくなった。でも来年もう一年やってみる。もっとも、球団が契約してくれればね・・・」と複雑な表情を見せた。藤田は来季の契約を二十二日に終わった。これで来季の保証はもらった。だが安心とばかりはいかない。