1973年
中村はノンプロ東芝で八年間もマスクをかぶっていた。二十六歳の異色選手。しかも、ドラフトの指名外でプロ入り。何を好んでいまさらという気もしないではない。だが、ぶしつけな質問にも、中村は顔色を変えるどころか、ジッと視線を定めて語り出す。プロへ踏み切った理由は「高校卒と大学卒の将来性に悲哀を感じた」からだそうである。「社会人として八年も勤務すれば、自分の将来がどうなるかくらいはわかる。大社会ほど高校卒はみじめ」-。五年前、同じ東芝から近鉄入りした永淵も、中村と同じようなことをもらしていたものだ。島原キャンプでの中村は、こうした過去を持つだけに、なにかにつけて姿勢が違う。捕球、打撃の一つに熱がこもっている。「だって、ボクにはもう待ったは許されない。ことし一年が、イチかバチかの勝負なんですから」だが、そのプレーには何となく余裕を感じさせるものがある。「見た感じは線が細い。でも、あれで試合になると別人のような活躍をするそうなんだ」と稲尾監督はいう。いわゆる実戦タイプの選手で、そこに期待もあるわけだ。中村はキャンプの初日から主力選手組で打撃練習を続けている。打球はそれほど遠くへは飛ばない。パワー不足の印象だが「そうではない。試合ではいいところで長打の出る好打者」と浦田スカウトは反論する。早鞆高時代は甲子園大会にも出場したし、昨年は社会人野球のベストナインにも選ばれた。内向型の性格、無口なことからもうかがえるが、それだけに「秘めた闘志は人一倍」と自己診断した。ライバル片岡との果し合いの日は近い。