1967年

サンケイアトムズの新人選手公募テストは、一月十五日、東京・杉並区大宮町の大和証券球場と、二月十九日、鹿児島県日置郡東市来町の湯之元球場の二か所で行なわれるが、それに先だち、十二日、応募申し込みがしめ切られた。東京・有楽町の球団事務所に集まったハガキは総数三百十八通、そのうち二百八十二人は大和証券球場のテストを希望、三十六人は湯之元球場でテストを受ける。球団事務所では、すでに十二日すぎから準備に追いまくられっぱなし。ハガキの整理やら、テスト種目のデータを記入する用紙をつくったり、テンヤワンヤ。応募するほうも必死。十二日午後四時ごろになって「いま八王子市にいるんですが、申し込みにいきたいと思います」と泣きついてくる若ものもいた。東京都の西部の八王子市から一時間二十分はかかるから、午後五時のしめ切りには間に合わないことになるわけ・・・。元プロ野球選手の応募者は二人。東映を自由契約になった岩切正男投手、元国鉄(現サンケイ)の小林誠内野手で捲土重来を期している。そのほか航空自衛官、タクシー運転手、牛乳配達人など、あらゆる種類の職業の人がいる。田中稔代表代理も「こんな大人数になったら、一日でさばききれるかな」と、早くも悲鳴をあげている。テストの当日は合宿住まいの若手はもちろん、佐藤進など大和証券球場の近くに住んでいる選手も手伝いにかり出されるとあって、このテストは、文字どおり球団の総力をあげて行なわれることになる。