1965年

近鉄に大沢という名前の投手がいることを知っている人は少ないだろう。日川高を出てことしでプロ入り3年目。ところがファームの試合にも、ろくすっぽ登板したことがない。籍だけは一軍に置いているが、打撃練習専用のバッティング投手。大沢自身の言葉を借りれば「オレはピッチング・マシンだよ」ということになる。この大沢が昨年暮の契約時から、ガ然ハッスルしはじめた。巨人では長島のお相手をつとめるバッティング投手でも、10万円くらいのサラリーをもらっていると聞いたからだ。「同じピッチング・マシンでも、大違いだね。わが身をかえりみて寂しくなったよ」とぼやいていたが、そのうちに「ようし、それならオレも一人前の投手になってみせる。近鉄では、いつまでたってもピッチング・マシンで、10万円ももらえるはずがない。給料は横バイだったし、ことしこそ、正真正銘の一軍選手になってみせる。もうピッチング・マシンはごめんだ」大沢は奮起して正月にも故郷へ帰らず、合宿に残って黙々とトレーニングをつづけた。スピードがない。力強さが足りないー大沢に対する評価は、決して甘くない。だが大沢がここまで思いつめ、新しい手にすべてをかけた決意のほどを知れば、人情としてもピッチング・マシンから一人前の投手に成長してもらいたいと思うのが当たり前だろう。