1966年

昨秋の東海大会で文句なく優勝、選抜出場十九回目の名門中京商のエース。だが、調整がおくれて杉浦監督(中京商時代、石黒=東京=と同期で二塁手、一番を打ち、早大に進んだ)を心配させている。「ここ三年間では一番スケールが大きいチームだ。それだけに加藤に早くピッチをあげてもらわないと・・・」という。仕上がりがおくれている原因は・・・。中部地区は昨年暮れからことしにかけて例年になく寒い日がつづいている。暮れの十二月十七日、霧の降った日にコンクリートの上を走って右足首に肉離れ。マッサージをつづけどうにか直ったものの、ピッチングをはじめたのは二月二十日からだ。目下、ストレートばかりを約百球程度。「全力投球を二十日ぐらいやればまにあいます」(加藤)というほどでき上がりは早い方だが、投げ込み不足から下半身の不安はかくせない。「ピッチングと並行してランニングをやります」とファイトをむき出しにしているが・・・。東海中二年までは捕手だったのが、投手力が弱いというので三年のときに転向。中京商に進み、昨夏の甲子園大会から終わってから、上手投げを杉浦監督のアドバイスでスリークォーターに変えて、ストレートに伸びがでてきた。ズングリとしたからだから重くて速いボールをビシビシと決めるのが加藤の身上。先輩の本間(西鉄)山中(中日)林(南海)といった本格派とは違ったタイプだ。卒業後は「就職して母や兄に恩返しをしたい」そうだ。父親を早くなくし、サカナ屋に勤めながら、苦労して育ててくれた母親・みよ子さん(44)や、なにかとめんどうを見てくれた兄の幸一さん(20)のためにも「甲子園でがんばる」といった。三重高・水谷投手については「長身から外角にコントロールされた速球はすばらしい。でも、顔を合わせたら負けませんよ」と大きく胸をはった。

「投手成績」21試合、14完投、11無得点勝ち、投球回数146回、被安打59、奪三振140、与四死球16、失点15、自責点13、防御率0・80。