Y 染色体 ハプロタイプ による分岐は? | 古時計など、もの集め

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時計収集に凝ってました。現役、アンティークなどなど。今では、もうその頃現役の時計も皆古時計です。最近はほとんど時計を買っていません。欲しいのもありますが、高くて買えません。

ミトコンドリアイブに象徴される女系の遺伝子変化での研究が当初始まりました。

 

が、ネズミなどの研究からミトコンドリアでの人種(と言って良いかは?) の分岐は余りに変動が大きく間違ってしまう。

 

という、結果から90年代からの男性のY染色体のハプロタイプの研究が進み、ヒトの分岐は現在はY染色体ハプロタイプが。一番、精度が高いと思われております。

 

というのも、染色体のDNAでの突然変異は大抵常に起きていますが、分岐するときに起きるときは、一人に起きるのです。

 

例えば、下記の分岐でも、本来A系統なのです。 そのA系統は10万年も変わらなかったと言えば、現在のA系の多彩さからみても、年月で突然変異がY染色体で起きているのです。 が、大抵はそのまま消えていきますが、

 

その変異体がサウジ王室とかチンギスみたいに、子作り名人の場合は本来のA系集団を超えてB-Tの元祖のBT系が独立した集団になるわけです。 現在、ハプロタイプ毎に移動していた事から、外見などはやはり変化したのだと思われます。

 

ただ、ハプロタイプの変異は重要な機能を司る遺伝子では無いので、 大きな生物学的な変化が生じる訳ではありません。

 

 

本来は歴史学は記録がある歴史時代を相手にして、考古学というのは記録が無い時代を相手にしていますが当然そこはオーバーラップします。 私みたいな歴史学徒はDNAによる調査が当初始まったころは、考古学、特に形質人類学などには脅威を与えると考えていました。

逆に歴史時代では殆ど役には立たないだろうと、思っていたのは20万年前発祥のヒトが1万年前の歴史時代までに混在を繰り返し、ヒトの集団などは、歴史時代にはDNAによる検査などさして役には立たんだろうと思ってました。 が、案外と歴史時代に食い込んできました。

記録が多いのはエジプトや中国、ヨーロッパです。 例えばヨーロッパで発見されたクロマニオン人は考古学になりますが、ギリシア時代などは歴史学が盛んで歴史時代と言えます。

中国も夏王朝などは怪しいですが殷王朝や同時期の長江文明などは、記録もあり歴史時代とも言えます。 その中国の殷墟でのハプログループが、現在の東南アジア型で、周王朝以降は現在の東アジア系となると、かなり食い込まれるでは無いですか。

 

 

現代人の身勝手で、ヒトの変異に伴う分岐を下記のように、名付けました。

 

 

現生人類発祥はA系で、下に行くに従い時代を下げて分岐しています。

 

A  は現在はアフリカ コイサン族

B はブッシュマンです。

 

B-Tまでの先祖の中から一人の変異が生まれ、D,E C-T 系統の先祖が誕生します。

 

ここまでで7マン年前でケニアあたりで13万年間、ヒトは留まっていました。 故に、A, B 系とか書いてますがその遺伝的な多様性は残りを合わせたよりも遥かに多く、90%の多様性はA,B 系統にあるようです。

 

 

DE 系とC-T系の元も7年前にアフリカで別れたと思われ、DE、C=T系統からC-T系が6.5万前に分岐しています。

 

DE系もアフリカ内で6万年前に別れています。

 

そのD,Eの分岐はアフリカ内か脱アフリカかは説が有りますがEが当初アフリカに止まるので、アフリカで別れたのでしょう。

 

一方のD系はC-T系と共にソマリア〜アラビア〜パキスタン辺りへと移動し、ヒトはとの辺りで暫くは多くは留まったようです。

 

D系はパキスタンから北方へ移動し、5万年前にD2とD1に別れアジアに広がりました。 が、現在は日本、チベット、アンダモン島にしか残っていません。

 

C-T系統からは、種々分岐しますし、現在も残っているのが多いですが、特質すべきはK系の変異です。

 

K系は新しい変異体になりますが、現在人類では最も成功した系統です。

 

Y染色体ハプロタイプで判ったことは、ネイティブアメリカン、 つまりインディアンがモンゴリアンでは無かったことや縄文人がアフリカ人の主流のEタイプの近隣だったことでしょう。

 

また、民族の重大要素の言語は、 ヒトの遺伝的な変化、つまり所謂人種と余り関係無くなっていると思われていたのが、かなり関連性が残っていることでしょう。 R系統が印欧語族などが典型例です。