うつを発症したのはこれが初めてではありません。
何度か重いのも経験してます。
でも今回が一番ひどいです。
ヒントを求め改めて「ツレがうつになりまして。」を読み直しました。
ツレさんのように働きづめでうつを発症したわけではないのでまず自己嫌悪。バイトは多少していたとはいえ、毎日ダラダラしていてうつになるなんて…
自己嫌悪は我慢しながら読み進めました。
うつの症状として不眠、食欲不振は有名だとして、背中が痛むのも風邪が直らないのも同じです。音楽が聞けないのも、テレビがつらいことも。
朝~昼が一番つらくて、夜になると少しだけスッキリ、楽になることも。
そういえば急にうつ期が来たのが不思議です。劣悪な環境で働いていたわけでもなく、大きな死別があったわけでもなく。
ひとつ考え付いたのがいとこの娘の死去でしたが、覚悟はしていたしそこまで落ち込む相手でもない(申し訳ない言い方だけど)
お別れ会はキツかった。
泣き崩れる知らない人たちに頼み込んでカメラを向け続けること200人。
充満する死の香り。
いとこ夫婦に嫌悪感を感じてしまった自分に感じた嫌悪感。
思えば葬式は何度も経験しているけど、みんな80才以上の人でした。
小さなこどもの葬儀はイヤだなとつくづく思いました。
でも、あのことで?
うつの原因は未だ不明ですが、理解のない母から珍しく説得力のある言葉を掛けられました。
「あなたはなんでもハイハイって聞きすぎ。巻き込まれないように自己防衛もしないとダメ。」
そして一昨年から去年にかけて起きた出来事を引き合いに出されました。
確かに件のいとこに「1ミリも間違えないで」とキツーく念押しされて、娘の喉に巻くバンドを何百本もミシンで縫いました。何度も「これ、2ミリ違ったよ」と突き返されて、やり直しになりました。
※いとこは先端恐怖症で針に触れないのです。
その結果、整骨院に通うはめになりました。無理な姿勢で一日中、縫い物を続けたため、肩から背中を傷めて寝ることも座ることもできなくなったんです。
毎日、2ヶ月通わなくてはなりませんでした。確かにあれは頼まれ事を安易に引き受けすぎた。無理なら無理って早めに言えばよかった。
今回うつ状態になってからも「さみしい、助けて」といういとこの電話に応答しすぎた。自分の身も守らなくてはならない。
何度目かのうつ状態になって判明したのが、お酒でうつは解決しないこと。一時的にでもいいから楽になりたくてワインを1本飲んでも鎮静も興奮もしなかった。
そして母がとても理解のないこと。
「自分の方がいかに辛いか」を滔々と述べてくれます。
「あなたがうつなら私なんてとっくに死んでる」とか平気で言います…つらい。
「お願いだからシャキッとして」
「グズグズしてないで動きなさい」
「こっちが具合悪くなりそう」
「早く治して」
何度言われたかわかりません。
ともかく、これからお医者さんです。