豊岡農村公園にある供養塔
豊岡上に農村公園があるのですが、ここの川沿い方面に2つの石塔があります。
南無阿弥陀仏と彫られています。「加茂川の石造物」には供養塔としてあげられてます。
奥側が1717年(享保2年)
手前側が1773年(安永2年)
に建てられた。
奥側の1717年に建てられた方には、二十七人の文字が彫られてます。(写真上)
手前側1773年に建てられた方には、南無阿弥陀仏と彫られた左下に二十八人の文字が見にくいけど見られました。
この供養塔は、常光寺で討たれた河原六郎右衛門と主従20余人のものと言われています。
「加茂川町史 続編」には、常光寺合戦跡と記載されてます。どのような事があったかというと
虎倉城主伊賀久隆の家老だった河原六郎右衛門は、鍋谷城を預かる兵法に優れた武将であった。ねたむ者があり、敵方の毛利氏に内通していると、久隆にざん言された。久隆はそれを信じて河原を討とうと思い、「用事があるので常光寺に来い。」と彼を呼び出し、小坂・片山という家来に討たせてしまったという。
御津郡誌には、河原六郎左衛門と表記されていますが、河原六郎右衛門と同一人物です。
農村公園から少し北側にある常光寺跡地。ここで、27、8人の犠牲者を出した事件があったのでしょうか。
寺跡に四ツ堂という大師堂があったようです。今は木が茂ってる近くに墓標があります。トタンで出来た建物の前にある一部欠損した宝篋印塔があり、河原六郎右衛門の墓?か、彼と何かしら関連があるのかもしれませんね。
❬参考文献❭
加茂川町史 続編
岡山県御津郡誌
広報かもがわ縮刷版1985
加茂川の石造物
賀陽町史追補版
播州室津と備中竹之荘 室納物語 矢倉神社縁起
❬インターネット❭
吉備中央町の田舎暮らし
藤陽伝 伊賀氏一族と虎倉城記