こんにちは!
成田万寿美です。
今年に入って、大切な人の訃報が相次いだ。
私に、大きな影響を与えた人達だ。
お一人は、「明美さん」
享年60才。
私が社会人になって最初に勤めた企業、
リクルート(当時は日本リクルートセンター)での出会い。
当時、明美さんは、社内一、カッコイイ女性だった。
ナチュラルメイクにショートボブ!
身体のラインが分かるようなタイトスカートにハイヒール。
男性と対等に仕事をし、後輩には優しく気さくで、
いつも太陽のような笑顔。
まだまだ子供だった私には、あこがれの存在だった。
その明美さんのご指名で、
何かのパンフレットの表紙モデルをさせて頂いた時も、
子供っぽい洋服しかなかった私は、
明美さんのワンピースを借りて撮影したものだ。
こんな洋服の似合う女性になりたいと・・・・。
その時、ひそかに思っていた。
何故か、明美さんは、私によく声をかけて下さって、
会社の帰りには、お酒の飲み方も教えてもらった。
確か、「薔薇館」と言う名前のショットバー。
カウンター席で、タバコを吹かしながら、
オンザロックのグラスを持つ明美さんは、
当時の私には、眩しい存在だった。
その後、私はリクルートを辞め、
テレビで仕事をするようになり、懸命に生きていて、
いつしか、明美さんのことも思い出すことはなくなっていた気がする。
その明美さんと、2年前にリクルートの同窓会で再会した。
50代後半になっていた明美さんは、
少し体型も雰囲気も変わっていたけれど・・
「ますみちゃ~ん!」
屈託のない太陽のような笑顔と声は、昔のままだった。
その明美さんの訃報が届いたのだ。
告別式では、レット・イット・ビーが流れ、
真紅の薔薇の花につつまれていたという。
最後まで、明美さんらしくて、カッコいい。
別れは、いつも突然だ。
もっと会っておけば、もっと話しておけば・・!
は、空しい。
そして、明美さんの訃報が届いた翌日、
リクルートの創業者「江副浩正」さんの訃報が届いた。
江副さんは、
私が社内電話に出ると「あっ、その声は成田さん?江副です。」
声を聞き分け、相手の名前を自分から呼びかける。
社長であっても、必ずご自身は名乗られる。
なかなか出来ることではない。
退職する日の朝も、
「成田さん、今日までありがとう。応援していますよ」
と、社内電話を頂いたときの声は、
今も、鮮明に耳の奥に残っている。
年月が流れ、お顔の印象は薄くなっても、
「声」の記憶は、心に深く刺さっているものだ。
経営者の皆様に向けて、講演をさせて頂くとき、
私は、今も必ずこの話しをする。
リクルートで社会人としてのスタートし、
テレビの世界に飛び込み、四半世紀・・・。
そして、今の私がある。
その短くはない日々を振り返る時、
私に影響を与えてくれた人達の顔がたくさん浮かぶ。
今はもう、会えなくなった人も多いけれど、
その人達から貰った言葉の一つ一つが、
イキイキと私の中で生き、今も私を支えてくれている。
私もまた、
自分の言葉と声が、誰かを励ましたり、支えたり出来るような、
そんな関わりを大切にしたいと思う。
今日は、個人的な追悼になってしまいました。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
成田万寿美
成田万寿美です。
今年に入って、大切な人の訃報が相次いだ。
私に、大きな影響を与えた人達だ。
お一人は、「明美さん」
享年60才。
私が社会人になって最初に勤めた企業、
リクルート(当時は日本リクルートセンター)での出会い。
当時、明美さんは、社内一、カッコイイ女性だった。
ナチュラルメイクにショートボブ!
身体のラインが分かるようなタイトスカートにハイヒール。
男性と対等に仕事をし、後輩には優しく気さくで、
いつも太陽のような笑顔。
まだまだ子供だった私には、あこがれの存在だった。
その明美さんのご指名で、
何かのパンフレットの表紙モデルをさせて頂いた時も、
子供っぽい洋服しかなかった私は、
明美さんのワンピースを借りて撮影したものだ。
こんな洋服の似合う女性になりたいと・・・・。
その時、ひそかに思っていた。
何故か、明美さんは、私によく声をかけて下さって、
会社の帰りには、お酒の飲み方も教えてもらった。
確か、「薔薇館」と言う名前のショットバー。
カウンター席で、タバコを吹かしながら、
オンザロックのグラスを持つ明美さんは、
当時の私には、眩しい存在だった。
その後、私はリクルートを辞め、
テレビで仕事をするようになり、懸命に生きていて、
いつしか、明美さんのことも思い出すことはなくなっていた気がする。
その明美さんと、2年前にリクルートの同窓会で再会した。
50代後半になっていた明美さんは、
少し体型も雰囲気も変わっていたけれど・・
「ますみちゃ~ん!」
屈託のない太陽のような笑顔と声は、昔のままだった。
その明美さんの訃報が届いたのだ。
告別式では、レット・イット・ビーが流れ、
真紅の薔薇の花につつまれていたという。
最後まで、明美さんらしくて、カッコいい。
別れは、いつも突然だ。
もっと会っておけば、もっと話しておけば・・!
は、空しい。
そして、明美さんの訃報が届いた翌日、
リクルートの創業者「江副浩正」さんの訃報が届いた。
江副さんは、
私が社内電話に出ると「あっ、その声は成田さん?江副です。」
声を聞き分け、相手の名前を自分から呼びかける。
社長であっても、必ずご自身は名乗られる。
なかなか出来ることではない。
退職する日の朝も、
「成田さん、今日までありがとう。応援していますよ」
と、社内電話を頂いたときの声は、
今も、鮮明に耳の奥に残っている。
年月が流れ、お顔の印象は薄くなっても、
「声」の記憶は、心に深く刺さっているものだ。
経営者の皆様に向けて、講演をさせて頂くとき、
私は、今も必ずこの話しをする。
リクルートで社会人としてのスタートし、
テレビの世界に飛び込み、四半世紀・・・。
そして、今の私がある。
その短くはない日々を振り返る時、
私に影響を与えてくれた人達の顔がたくさん浮かぶ。
今はもう、会えなくなった人も多いけれど、
その人達から貰った言葉の一つ一つが、
イキイキと私の中で生き、今も私を支えてくれている。
私もまた、
自分の言葉と声が、誰かを励ましたり、支えたり出来るような、
そんな関わりを大切にしたいと思う。
今日は、個人的な追悼になってしまいました。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
成田万寿美