菅義偉首相は、コロナウイルスの感染症入院対象を重症者らに限定する方針を決め、重症化リスクが低い人は自宅療養とする方針を決めました。
今回は、これについて考えていきます。
まず、結論として「これは政府がやって良いことではない、あり得ない」というのが率直な感想です。
1.コロナウイルス感染症の特徴
コロナウイルス感染症は、無症状や軽症であっても、突然悪化してあっという間に亡くなってしまうケースが多いことが特徴とされています。
故・羽田雄一郎参議院議員などがその例です。数時間前まで自力で歩けるほどの軽症でしたが、突然悪化して病院に向かったところ病院に向かう途中の車で意識を失い、搬送された病院で死亡が確認されました。
悪化したときにすぐに医療を受ければ助かる可能性は高くなります。しかし、医療を受けるまでの時間が長ければ長いほど、それだけ助かる可能性が低くなります。悪化したときにすぐに対応できるように、軽症でも入院する必要があるのです。
2.軽症状、中症状、重症状の違いとは
本来は複雑な定義がありますが、わかりやすくかみ砕いて説明します。
軽症状…自力で治すことが出来る。
中症状…酸素吸入が必要になるなど、本格的な医療行為を受ける必要がある。本格的な医療を受けていれば死亡の可能性は低い。
重症状…集中治療室への入室が必要。死亡する可能性が高い。
大雑把に説明するとこんな感じです。つまり、熱が40度出ようが咳が苦しかろうが、寝ていれば治るのが軽症状です。軽症状だからと言って楽なわけではありません。
中症状になるともはや自力で治すことは極めて難しいです。本格的な医療を受ける必要があります。
重症状は本格的な医療を受けたところで助かるかどうかはわかりません。
3.政治家の最大の仕事は
このブログでも何度も記載しておりますが、政治家の最大の仕事は「国民の命を守ること」です。これ以上に大事な仕事はありません。
しかし、入院を認めず、自宅療養の推進を政府の方針にするということは、政府が国民の命を諦めたということです。
4.医療崩壊
医療崩壊とは何か、神奈川県医師会のホームページに記載されています。
ここからまとめますと、「本来あるべき医療ができない」、「医療を受けたいのに受けられない人がいる」この状況になったら医療崩壊と言えます。自宅療養の推進は正に医療崩壊です。これを医療崩壊と言わずに何と言うのでしょうか。
中症状であっても本格的な医療を受けなければ自力で治すことは難しいですし、治ったところで後遺症が残る場合もあります。重症リスクがないと入院できないというのは、あまりにも理不尽な話です。
以上のことから、政府の方針に強く反対します。
国民の命を守ることが政府の最大の役割であり、その役割を完全に放棄していると言っても過言ではありません。
自宅療養の推進は、スポーツで言えば大事な試合で戦いもせずに不戦敗をするようなものです。
死力を尽くして負けてしまうのであれば、問題点が浮き彫りになって次に活かすことができます。
しかし、不戦敗からは何も生まれません。何が通用して何が通用しないのか、それすらもわからないままです。
失敗は成功の母ですが、不戦敗は失敗すらしていない状況で、成功につながることもありません。
自宅療養の推進は、政府がコロナウイルスに対して不戦敗を選択したことに他なりません。
死力を尽くしてもダメだったならともかく、不戦敗はあまりにも無責任すぎます。
不戦敗を選択した無責任な政府を変えることができるのは、国民の一票だけです。