今日は、高野山大学の難波サテライトで行われた、「古事記と旧約聖書における開闢(かいびゃく)神話」の講座(講師:高野山大学山脇教授)に行ってきました。

 

世界の始まりについて、古事記の国産み神話の世界観、旧約聖書の創成期の世界観、この二つの特徴。

多少なじみはある古事記、まったく知識のない旧約聖書、まあどちらも本当に新鮮でした。

 

そのなかで、ちょっと考え直させられたお話があったので紹介します。

 

旧約聖書「創成期」の中にある、神が世界をつくっていくお話の部分に、

神が、光からはじまって、昼と夜と朝を区別し、大空・天、地、草木、果樹、太陽、月、星、鳥、水生動物、家畜、獣、爬虫類等々をつくったあとで、(あの有名な部分ですが)「神自身にかたどって人を創造された」とあります。そして地、海、空の生き物をすべて支配させ、食べ物となる草木を与え、天地万物を完成させ、最後の7日目に仕事を離れ安息された、のだそうです。

 

この、神が自分に似せて人間を作った、という部分ですが、では、人間と神は何が似ているのか、という話で、

それは 体の形と、精神と、世界の支配者である、という点らしいです。

 

このなかで、私が、考えこんじゃった点というのは、精神の部分。

 

精神面での神と人間の共通点は、「知性、意思、愛情」を持っているということ。

ただし!その威力、エネルギー量、深淵さ、には神と人間では言葉にできないほどの圧倒的な差があります。

 

特に、人間の場合「自分にいいことをしてくれる人を愛する」というのが、特徴で、この点が神とは圧倒的に違うそうです。

神は、相手がどうあれ、愛を注ぐ。ところが我々は、愛する、というのは「自分にいいことをしてくれる人」がまず対象なんですね。。。。

 

この話しを聞いて私は「ふぎょぎょ!やってまった!」となってしまいました。

 

昨日のブログで、私は、「AかBかどっちが私にとって幸福か」、という問いは「AかBかどっちが私にとって都合がいいか」を置き換えてるだけなんじゃないの?ってえらそうなこと書きました。

 

今日の話しで、「なんだ!それ、人間の基本スペックだったのかい!」ということに気づかされました。なんと思慮の浅い私であることよ。

 

人間がもつ基本スペックであることを考慮にいれず、「みんな Choice(選択)じゃなく、Being(あり方)が大事なんじゃないの?」みたいなこと書きました。 げろげろ、恥ずかしい。。。。昨日、「いいね」をして下さった皆さんに会わせる顔がない。穴にあったらしばらく入りたいけど、ブログには穴がない。

 

こんなことがあって、おもーい、くらーい気分で帰ってきたら、さっき

鑑定を受けてくださったことのあるお客様からメッセージが来て、「昨日のブログをみて、自分がいかに、自分にとって都合よく事を運ぼうとしていたか、に気づいた。相手を思いやり相手の幸せを考えるならば、自分の行動も言動もすべて違う、と気づかされた。ナリさんに感謝。」と言ってくださいました。

 

涙、じーん。。。。
 

昼間、凹みに凹みましたが、このお言葉の凸のおかげで、凹みが埋まりました。

 

自分のエゴ第一になるのが人間の基本スペックだとしても、それだけじゃない所に行こうとするのも人間の持つ素晴らしい特性ですね。

それが、神の方向に向かって、魂が少しづつ成長する、ということなんでしょうかね。Eさん、ありがとう~。

 

タロットのおかげで色々考えさせられるわ。。。んとに。

 

ナリ