2007年2月21日に最初のちびちゃんと子宮外妊娠で、6月13日に2番目のちびちゃんとごく初期の流産でバイバイしました。
「お空のちびちゃんたちのこと」のテーマでは、子宮外妊娠のことや流産のことなど、このブログを始めるに経験したことを、日々のブログのかたわら、少しずつ書いていきたいと思います。
※子宮外妊娠、流産、手術などの記述があります。読まれたくないかたはスルーしていただければと思います。
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※今回の記事は、流産したときのことが詳しく書かれていますので、気分を害される方がいらっしゃるかも知れません。ご自身で加減してお読みしていただくことをお願いいたします・・・
出血が始まり、病院で流産の危険を指摘され、私はひたすら自宅で横になり安静に過ごしました。
トイレにはさずがに歩いて行きましたが、そのたびに出血が止まっていることを願いました。
そして、布団をかぶってじっとしながら、赤ちゃんの力を信じることができず、あきらめて投げやりになってしまった自分を責めました。
がんばれ、がんばれ、私の赤ちゃんがんばれ・・・と今さらながらお腹をさすって呼びかけました。
でも、その願いはかないませんでした。
翌日の朝になっても出血は止まっておらず、むしろひどくなっていました。
ダンナさまは心配しながらも仕事に行く準備をし、私はパジャマを着たままリビングで横になりました。
ふと、下腹部に違和感を感じました。
そのまま急いでトイレへ。あっという間の出来事でした。
お腹から何かが出てくるのがわかりました。
私はとっさに手で受け止めました。
それは、手のひらにずっしりと重く、私は少しの間、ぼーっと私の赤ちゃんになるはずだったそのかたまりを見ていました。
胎嚢もはっきり見えなかったのに、こんなに大きく育ってくれてたんだ・・・と、まず思いました。
そして、どうにかお腹に戻すことはできないか、とも考えました。
もちろん、それはもう叶わないことだけれど、それならばずっと手元に置いておきたいなぁ・・・
赤ちゃんには程遠い姿だったけれど、とってもいとおしく思いました。
いつまでもこのままではいられないことはわかっていましたので、ダンナさまを呼んで、ビニール袋を持ってきてもらいました。
不思議と心は落ち着いていましたが、トイレから出てダンナさまの顔を見ると涙が出てきました。
がんばっていた赤ちゃんのことを思うと、かわいそうでかわいそうで仕方がありませんでした。
ダンナさまは、仕事を休んでくれ、いっしょに病院に行きました。
病院では、すぐに流産の診断がされ、持ってきたビニール袋は念のため子宮外妊娠の可能性なども考慮して病理検査にまわされることになりました。
本当は検査のあと返してもらいたいと思ったのですが、少しだけ理性が働いたのか、そんなことを頼むのはおかしいよね、と自分に言い聞かせ言葉を飲み込みました。
そして、そのまま私は流産後の処置のため、掻爬(そうは)手術を受けるため手術室に入りました。
ダンナさまは部屋の外で待つことになりました。
この病院で掻爬(そうは)手術を受けるのは、前回子宮外妊娠と診断される前、いったん流産と判断されたとき以来2回目でした。
今回も緊急のため、麻酔はなしで行いました。
前回のことを思い出すと、痛いのは承知でしたが、今回は数倍痛かった気がします。
痛みと一緒に、またちびちゃんをなくしてしまったことがどんどん現実味を帯びてきて、気がつくと泣いていました。
泣いていると呼吸が速くなり処置がしづらいらいしく、先生に何度か注意されました。
注意されたことがまた悲しくて、いっぱいいっぱいの悲しさをどうしていいかわからなくて、やっぱり泣きました。
手術は短く、たぶん5分くらいだったと思います。
ふと気がつくと一人の看護婦さんが、ずっと手を握っていてくれました。
そして、私が落ち着いてところで、よくがんばったね、と声をかけてくださいました。
私は、「ただダンナさまの赤ちゃんが欲しいだけなのに、どうして?」と、泣きながらその看護婦さんに聞きました。
すると、その看護婦さんがご自身のことを話してくださいました。
「結婚したら誰だってダンナさまの赤ちゃんが欲しいと思うわよね。自分も欲しくってがんばったけどできなくて、ずい分苦しんだ。40才までがんばったけどダメだった。あなたはまだ時間があるんだからがんばって。でも、人間どこかで気持ちを切り替えないとね。私は、今はこの産婦人科病院でほかの人の赤ちゃんのお世話をするのが楽しいの、ほかの人の赤ちゃんがとってもかわいいの。」と、おっしゃいました。
なんで、自分だけが辛い思いをしなきゃいけないんだと、卑屈になって投げやりになって赤ちゃんを信じてあげることができなかった自分を恥ずかしく思いました。
できるところまで、もう少しがんばれるかもしれない、と思いました。
その後、仮眠できるベッドに移され、ダンナさまといっしょに少し休みました。
さっきの看護婦さんのおかげで、私は泣きながらも穏やかな気持ちでダンナさまとお話をすることができました。
ダンナさまはずっと私の手を握ってくれ、私はやっぱりダンナさまと私の赤ちゃんに会ってみたいと思いました。
徐々に普通の生活に戻っていくなか、2番目のちびちゃんにも名前を考えなきゃと思いました。
最初のちびちゃんは、ダンナさまが羽みたいだった、と言ったから「はねちゃん」。
今度のちびちゃんは・・・手のひらに乗せたときのあの感じ。
大きくってずっしり重くて、ふっくらしていたなぁ・・・
じゃあ、名前はふくちゃんにしよう、ふっくらしていたから「ふくちゃん」。
ふくちゃんには申し訳ない気持ちでいっぱいです。
信じてあげなくて、守ってあげられなくて、弱いママでごめんね。
本当のことはわからないけれど、流産する前に2回お腹が痛くなったのは、きっとふくちゃんが一生懸命流れないようにお腹にしがみついてくれていた痛みなのだと、私は思っています。