2007年2月21日に最初のちびちゃんと子宮外妊娠で、6月13日に2番目のちびちゃんとごく初期の流産でバイバイしました。
「お空のちびちゃんたちのこと」のテーマでは、子宮外妊娠のことや流産のことなど、このブログを始めるに経験したことを、日々のブログのかたわら、少しずつ書いていきたいと思います。
※子宮外妊娠、流産、手術などの記述があります。読まれたくないかたはスルーしていただければと思います。
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手術が終わり、手術室からベッドで運ばれているのがわかりました。
意識はとぎれとぎれでしたが、手術室の外にダンナさまと父の顔が見えました。
いったい何時だったのか、そのときの私には見当もつきませんでしたが、あとで聞いた話では2時間くらいの手術だったようです。
ダンナさまと父は、明日いつごろ来てくれるかを私に伝え帰っていきました。麻酔が切れたばかりのぼんやりした意識のなかでは、細かいことはあまり理解できませんでしたが、とにかく明日また来てくれるんだとわかっただけで安心できました。それに対して自分では、「ありがとう」と言って笑顔をつくったつもりですが、うまくできていたかは自信がありません。
その日は、術後ということでナースステーションの隣の部屋で一晩過ごすことになりました。
脚には血栓を作らないために、脚を圧迫したり緩めたりする器具が取り付けられており、その器具の音と尿管に入れられた管と暑さが気になって、ゆっくり眠ることはできませんでした。ふっと意識が飛ぶとまた目が覚める、その繰り返しで時間が進むのがとっても遅かったのを覚えています。薄暗い部屋の中、うっすらと見える壁にかかった時計が何時をさしているのかを、何度も何度も目を凝らして確認しました。
それでもいつの間にか眠っていたようです。翌朝、父と母、そして妹の声で目が覚めました。
父たちが聞いたところによると、もうしばらくしたら自分の病室に戻れるとのことでした。本来このナースステーション脇の部屋には、面会の人は入ってはいけないのに無理を言って入れてもらったらしく、「じゃあ、あとで病室でね」と言って、あわただしく出て行きました。
体はだるく疲れていましたが、少し家族の顔を見ただけで気持ちが明るくなっていきました。
やっとお昼ごろになり、自分の病室に戻れることになりました。
看護婦さんは車椅子をすすめてくれましたが、「大丈夫、自分で歩けます。」と何の根拠もなく答え、がんばってみることにしました。少しでも早く回復したいという思いが強かったからです。
ベッドから起き上がろうとすると、お腹に痛みが走りました。でも、その痛みは明らかにお腹の中から来ているのではなく、手術の傷口の痛みでした。思わず声を出してしまうような痛みでしたが、一度起き上がってしまえば大丈夫でした。
点滴をつけたまま看護婦さんに付き添われ、そろそろと自分の病室まで歩いていくと・・・両親と妹が待っていてくれました。みんな、にこにこ笑顔で迎えてくれました。
調子はどう?痛くない?顔色はいいねー。明るく接してくれる家族を本当にありがたく思いました。
まずは、父が昨夜手術後に先生から聞いたことを話してくれました。
子宮外妊娠が起こっていたのは、左の卵管だったこと、癒着がかなりあったこと、など・・・
しばらくして先生も病室に来てくださったので、さらに詳しくどのような状態だったのかを話してくださいました。
癒着はできるだけはがしてくださったとのこと、ただ、着床部分の癒着がひどかったので卵管を切除しなければならなかった・・・かなり切羽詰った状態だったらしいのですが、なぜ痛みがなかったのか先生はしきりに不思議がっておられました。
入院期間については、体温とhcgの値の下がり方を検討しながら経過を見ることになるので、最低でも1週間くらいになるでしょう、と言われました。
私が今後の妊娠についてたずねると、「確率は下がるけど、自然妊娠も可能でしょう。」と先生。さらに、「もしまた子宮外妊娠が起こったら?」とたずねると、「今は体外受精があるからね。」とおっしゃいました。
そのときの私は、体外受精についての知識はほぼゼロでしたが、とりあえずいくつかの選択肢が残されていることに安堵しました。アシスタントでついていた女の先生が「卵管が一つだから確率が半分になるわけじゃないからね、確率はもう少し高いから。」とおっしゃってくれたのも私に前を向く力をくれました。
あとは、体が回復して退院すること。目標が見えると元気も出てきました。
ひとしきりおしゃべりをしたあと両親と妹は帰って行きました。帰り際、父が言ってくれたように少し眠ることにしました。
寝て起きたら、夕方には今度はダンナさまが来てくれます。
その日から退院まで、ダンナさまはお仕事帰りに毎晩病院に来てくれました。そして、面会時間ぎりぎりまで隣にいてくれ、「また明日ね。」と言っておうちに帰っていきました。
たわいもない話をしたり、ときには静かにそれぞれが読書をしたり・・・ダンナさまはずっと手を握っていてくれて、頭をなでてくれて、私は安心してうとうと眠ってしまうこともありました。
DVDを見るわけでもなく、いっしょにお買い物に行くわけでもないけれど、ただただそばにいたいと思いました。
入院はしないに越したことはないけれど、入院中のこんな時間はお互いの大切さを静かに強く感じることができます。
私はダンナさまに聞いてみたいことがありました。
手術の直後、私の中にいたちびちゃんを見せて欲しい、と先生に言おうと思ったのに言えなかったことを、私は後悔していました。ほかの人にとっては、ただの組織の一部なんだろうなと思ったら、恥ずかしくて言い出せなかったのです。
だから、ダンナさまだけでも見てくれていたらいいな、と思っていました。
いつものように面会に来てくれたダンナさまに聞いてみました。
「手術のあと・・・見せてもらった?」と聞くと、ダンナさまはすぐに意味がわかったようで、「見たよ。」と即座に返事が返ってきました。
「どんなだった?」との私の質問に、ダンナさまは少し考えて言葉を選んでいるようでした。そして、
「羽みたいだったよ。」とダンナさまは言いました。
羽かぁ・・・かわいい・・・
どのあたりがどんな風に羽みたいだったのか、ダンナさまがどうして私にそう伝えたのか、その後あらためて聞いたことも、このときのやり取りを話題に出したこともないのですが、それ以来、私たちの最初のちびちゃんは「はねちゃん」になりました。
羽みたいに、やわらかくてふわふわのかわいいちびちゃんです。