思ったよりも早くに到着した。
高橋さんと土井さんはこの日はここで一泊するとのこと。
ガルンドルンも見晴らしがとてもいい。
ここで泊まってもいいな~。
頭を洗う村人。
村の道。
次の通過村ランドルンへの道。
分かれ道が幾つかあるので、立ち止まって考えていると、
小さな少年が話しかけて来た。
ランドルンはあっちだよ。
うん、ありがとう。
Do you have sweets?(お菓子持ってる?)
少年が話しかけて来た理由はこれなのだ。
持ってないよ。
すると、少年は怪訝な顔をして去って行った。
なぜなら僕が持っているビニール袋の中にお菓子が入っているからだ。
僕はわざとお菓子をあげなかった。
自分が食べる分がなくなるから。
ではなく、彼のためにあげるのは良くないと思ったからだ。
トレッキングの最初はあげていた時もあった。お菓子をあげると子供は喜んだ。
旅行者がくれないと滅多に甘いものなんて食べられないだろうから。
しかし、この行為は良くないことだと考え直した。
癖になる。
現にあの少年は明らかに僕に対して「ケチ」と思っていただろう。
持っている者が持っていない者に与えるのは当然だ、と意識ができている。
これは危険な考えなんじゃないか?
お菓子くらいなら可愛いものだけど、それは今度お金になって行くだろう。
それがさらに発展していったら…
こんな話を聞いた。
ネパールにある日本のNGO団体で、高齢の方がネパールの人たちのことを思って懸命に働いている。
ネパールの人たちは、彼に
「水道を直してください」
「道路を直してください」
「着る服をください」
まかせろ!とお願いされたことをこなす。
それはすでにそのNGOの処理能力の限界を越えているそうな。
そして、お願いしているネパール人は「あの人にお願いすれば何でもやってくれる」
この言葉の裏には「自分たちは何もやらなくてもいいんだ~」が隠れているような気がしてならない。
これは物質的に豊かになるかもしれないけれど、自立心を奪ってしまい人間的には貧しくなっていくのではないだろうか?
また、子供にお菓子を簡単にあげると、
虫歯になるから良くない
これも想像に難くない。歯なんてよく磨かないだろう。
そして、教育にも悪い。
普段、親が与えてくれないものを、ちょっと来たツーリストがあげていたら、子供は「何で親が持っていないのに、あの人たちは簡単にくれるんだ?」と不思議に思うだろう。
中には「うちの親はダメなんだ!」と舐め出す子供もいるかもしれない。
あるいは、お菓子が食べたい食べたいと駄々をこねだすこともあるだろう。
まだむやみに与えることの害はあるかもしれない。
逆に与えることで良い面もあるかもしれない。
あのお菓子をいつも食べていたいから、この村を出て偉くなってやる!と奮起する人もいるかもしれない。
しかし、こんなサクセスストーリーがあるとは僕にはあまり考えられない。
欧米人の人で時々、「可哀想だから」と与える人がいる。
可哀想と思っているのは与える側が、勝手に思っているだけで、与えることによって、自分は良いことをしたという欲求が満たされるだけだ。
つまり、自己満足。
この人に何かを与えること、施すと言うことは、考えると本当に難しい。
実は東南アジアを旅している時からずっと考えているけど、納得のいく答えは出ていない。
人が喜んでくれるならいいだろ!自己満足で何が悪い!?
とにかく行為をすることが正しいのか。
その行為は後で悪い結果を招く恐れがあると、行為を行わないことが正しいのか。
それがわからない。
ただ、何も考えないでいるより、その人なりの答えを探してから、探しながらの行動である方が、意味があるのではないか。
個人的な考えをつらつら書きましたが、皆様、どうお考えになられますでしょうか?
答えなんてないかもしれません。
少しでも施す行為について考えて頂ければ、嬉しい限りです。
そんなことを考えながら、ガルンドルンからランドルンへの強烈な山を下りる。
山歩きは下りにも注意!ひざを悪くしないように!
小学校が休み時間なのか外で子供達が遊んでいた。
僕がカメラを向けて写真を撮ろうとすると休み時間が終了。タイミングがいつも悪い。
足場は悪く、石の階段が続く。
ひざが痛くなってきた。
上ってくるツアーのトレッカーがたくさんくる。
頑張ってください!
Cheer up!
と使っているけど、あまり通じないんだよな~。
どうにかこうにか谷底へ。
と言うことはここから上りなのだろうな~。
ヒーーー!
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