なりあやの韓国シネマ留学記 -6ページ目

なりあやの韓国シネマ留学記

2017年、3度目の韓国留学。
ソウルの大学院で映画を勉強します!

寒い!ガーン

けど、たぶん寒いから、韓国の冬休みは長いんですね。

今日から早くも冬休みです~

韓国は3月始まりなので、まるまる2ヶ月半。

は~シヤワセ照れ

 

後期が9月に始まるや、10月の釜山国際映画祭(スタッフとして参加)の準備、本番、終わってからの翻訳とかもろもろに追われ、その後は後回しにした発表発表発表、そして昨日提出の期末レポート、その間にちょいちょいイベントもあり、気が付いたら終わってました。疲れるとちゃんと体にくる歳になったようで、何度も体調を崩しつつ。

 

最後は、レポート提出の数日前、やっちゃいました。腸炎。たぶん前夜に食べたコプチャン(ホルモン)。よりによって、一番好きなもので。

 

 

おいしいのにな~。でも以前も韓国でコプチャン食べて食中毒みたいなのになったことがあって、母には「あんた、また同じことして」とあきれられました。また食べるんやろうな~(笑)

 

発表は、①「ペパーミント・キャンディー/박하사탕」(イ・チャンドン/이창동監督)②「雨月物語」(溝口健二監督)③「力道山/역도산」(ソン・ヘソン/송해성監督)

期末レポートは「2015年以降、日本植民地時代の映画が増えた社会背景/2015년 이후 일제 강점기 영화가 늘어난 사회적 배경」

 

という感じでやりました。

日本植民地時代を背景にした映画は、2015年夏、「暗殺/암살」が大ヒット(観客数1200万人超)して以降、現在までいっぱい(少なくとも12本)作られてます。2015年夏は日本なら戦後70年ですが、韓国は光復(解放)70年だったんですね。その後の日韓の歴史関連の出来事(慰安婦合意とか)と作品の内容や興行などなど、分析してみました。個人的にはおもしろかったけど、教授にはいっぱい突っ込まれました。あはは。

 

冬休みは日本にも帰りますが、その前に、初中国行きます。延辺。詩人の尹東柱が今年生誕100周年なのですが、誕生日の12月30日に出身地の延辺で式典があるそうで。日本からの招待客が年末ぎりぎり過ぎて参加率が非常に悪いらしく、運よくわたしにお鉢が回ってきました。その後大晦日から元旦にかけて白頭山に登ってきます。今、ソウルでもすでに寒くて死にそうなのに、「よく行くね」とみんなに言われますが、でもこんな機会もめったにないし。命を大切に、行ってきたいと思います。

なかなか余裕のない日々が続いてますが、先日(11月18日)の中央日報コラムをある人に訳してほしいと頼まれ、せっかく訳したのでブログにもアップしときます。毎度すればいいんですが、すみません。

http://news.joins.com/article/22126676

 

見知らぬ人とも食を分かち合う韓国で4泊5日

日本の学生たち 慰安婦被害ハルモニと会い、涙

 

「キムジャン」の季節がやってきた。韓国のどんなところが好きなのかという質問をよく受けるが、その答えの一つは「食を分かち合う文化」だ。近所の人はもちろん、親戚らたくさんの人が集まってキムチを漬け、分け合うキムジャンはその代表格だ。

一人で食べず、できるだけ誰かと一緒に食べようとするのも韓国のいい文化だ。高速バスに乗った時、横に座ったおばさんが、突然自分が食べようとしていたゆで卵とみかんを分けてくれたこともある。日本では見知らぬ人に食べ物をもらったことは一度もなかったので、韓国で当たり前のようにあげたりもらったりするのが不思議だった。韓国人の友達にこの話をすると、「一人で食べる方が変」と言う。

家族と離れて暮らす留学生のわたしが、寂しく一人でご飯を食べているのではと心配してくれる人もいる。家で作ったおかずを持ってきてくれたり、外食のたびに声をかけてくれたり。そんな時は、おなかだけでなく、心まで満たされたような気持ちになる。日本にいた時も、仕事の都合で家族と離れて暮らしていたが、わたしがちゃんと食べているかを心配してくれるのは母ぐらいだった。日本人の多くは家でも外でも一人で食べることに慣れている。

食を分かち合えば、自然と対話(※韓国語では対話を分かち合うと言う)が始まる。わたしが日本にいる時よりも韓国にいる時の方がよくしゃべる理由も、食を分かち合う文化のためかもしれない。最近、それを実感する出来事があった。

先日、ソウルで開かれた学生フォーラムでのことだ。韓国と日本の新聞社や放送局に就職を希望している、あるいはすでに内定の出ている大学生たちが集まり、4泊5日の間、寝食を共にしながら取材をするイベントだった。わたしは学生たちが取材し、記事を書くのをお手伝いする役割で参加した。

日本から来た学生の中には、留学中の中国人学生もいた。おかげで、図らずも日中韓3ヶ国の学生が集まり、最初よそよそしかった学生たちは4泊5日の間一緒に過ごしながら徐々に親しくなった。

最後の日程で、自身が撮った写真の中から1枚を選び、その写真について話す時間があった。何人かの学生が似たような写真を選んだ。夜遅くまで、ホテルの一室で学生が集まり、お酒とつまみを囲んで討論する様子の写真だった。

日本の学生たちは普段政治や歴史についての話をあまりしない傾向がある。初めて同世代の外国人学生と討論したこと自体が新鮮な経験だったはずだ。「韓国や中国の多くの学生が日本の政治状況や歴史についてよく知っているのに、自分は知らなすぎる」と恥じる日本の学生も多かった。

討論の内容を尋ねると、「日本政府はどう謝罪すればいいのか」だった。慰安婦のハルモニたちが暮らす「ナヌムの家」を訪問した際、学生たちの取材に応じたハルモニが「日本政府の心からの謝罪を望んでいる」と訴えたためだ。

ナヌムの家を訪問する前日の夜、日本の女子学生2人がわたしの部屋に来て、「どう質問すればハルモニを傷つけずに話をうかがうことができるか」と、一緒に悩んだ。実はハルモニは体の具合が悪く、会うだけで精一杯だと聞いていた。一生懸命準備した学生に「話を聞けなくてもあまりがっかりしないように」と言っていたが、意外にもハルモニが「質問するより前にわたしの話をまず聞きなさい」と、数十分間、自身の被害体験について語ってくださった。流れが途切れないようにと、録音して後で翻訳することにし、その場では韓国語で聞いたが、日本の学生たちは聞き取れないながらも泣いている学生が多かった。表情や語調だけでも感じるものがあったようだ。おそらく、ハルモニのために自分たちに何ができるだろうと、考えさせられただろう。

日本の学生の多くが「日本では慰安婦問題は政治問題として報道され、他人事のように感じていた」と言う。被害国である韓国や中国の学生たちと寝食を共にして討論しながら、決して他人事ではないと感じたはずだ。

見知らぬ人とでも食を分かち合い、対話する韓国の文化が、初対面の学生たちの口と耳、そして心を開いてくれたのだろう。

 

成川彩 日本人ジャーナリスト(東国大学大学院在学中)

 

出典:中央日報〈成川彩のソウル散策〉2017年11月18日付

 

ご無沙汰しております。

釜山国際映画祭での仕事が、本日先ほど終わりました。

準備をしてもしても、きりがない感じで、ここ2週間くらいは他のことにほとんど神経回らず。

今も頭が回らず、何から書いていいのかという状態ですが、知り合いからリクエストがあったので、それで書きます。

 

 

今回最も力を入れて準備したのが、原一男監督の新作ドキュメンタリー「ニッポン国vs泉南石綿村」。映画祭からは、上映後のGV(観客との対話)の通訳を頼まれていました。大阪・泉南の石綿被害を裁判闘争を中心に追った作品です。

 

なんせ作品そのものが3時間半という大作で、GVも通常は30分なのが1時間。

 

18日と20日の2回あって、どっちも通訳を担当しましたが、記憶に新しいというか、さっき終わったばかりの2回目のほうで書きます。

 

司会進行役は、ビョン・ヨンジュ(변영주)監督。ドキュメンタリー「ナヌムの家」や宮部みゆき原作の「火車」などで知られる女性監督です。

 

前半は、ビョン・ヨンジュ監督から質問、後半は観客から。

全部書く余裕はないので、かいつまんで。

 

ビョン監督:

個人的にとってもうれしい気持ちで司会を引き受けました。なぜなら、原監督は、わたしに限らず、多くの韓国のドキュメンタリーの監督たちが最も影響を受けた監督だからです。

タイトルが、カタカナで「ニッポン」となっている理由はなんですか?

 

原監督:

わたしは日本人ですが、日本に対して嫌いなところもあります。それは権力に対してもありますが、多くの庶民に対してもあります。民衆である日本人のメンタリティーに、そういうことでは世の中良くならないだろう、と批判したい気持ちがある。そういう否定の意味を込めてカタカナにしました。

 

ビョン監督:

登場人物たちをイラスト付きのプロフィールをつけて紹介したのは?

 

原監督:

今村昌平監督の「映画とは人間を描くものである」という名言があります。わたしはその名言を受け継いでいこうと思っていますが、人間を描くというのは漠然としている。そこで「感情」という言葉を加えて「人間の感情を描くものである」と考えています。この映画で言うと、裁判だけを追ってもおもしろくない。登場人物の人生を丁寧に描かなければ。アスベストでどういう影響を受けたのか、ということを聞くと同時に、その人にとって人生で何が大きなできごとだったか、聞き出して描く必要があると考えました。

 

ビョン監督:

原監督はいつも直接カメラを持って作ってきました。これまでの作品との違いは、これまではフィルムだったのが、デジタルになったこと。どんな違いを感じましたか。

 

原監督:

一番違うのは、フィルムは高いということです。長くしゃべる人だと、どこが大事か判断して撮らないといけないが、判断を間違って大事な部分を逃してしまうことがある。デジタルはテープが安いので、最初から最後まで撮れる。撮り逃すことがなくなった。

 

ビョン監督:

良かったのは、一つ一つのショットがはっきりしていることです。意味のないショットがない。3時間半という長い時間でも、リズム感が武器になっていると思いました。

わたしからの最後の質問は、映画で死を扱うことについて。わたし自身が、「ナヌムの家」で、撮ってる間もそうですが、撮った後もしばらく、死から抜け出せなかった。原監督の「全身小説家」では予想外の死に直面しますが、今回の作品は亡くなるかもしれない健康状態の人たちを撮る、というのはどういう思いでしたか?

 

原監督:

泉南でインタビューをする時、1回で終わりとは思っていない。もっと深く、次に聞こうと思って次行ったら亡くなったと言われる。突然亡くなるということが何回も重なって。次から次へと死んでいくのには驚きました。

わたし自身、死を撮らなければと思っています。日本では死を撮ることはタブーとされていて、だからこそ撮らなければと思っています。どんどん亡くなっていくので、その亡くなっていくところを撮らなければと思っていたが、撮れなかった。泉南の人たちは身内の死をプライベートとして、他人に見せたがらない。ましてやカメラなんてとんでもない。了解が取れなかった。大きな課題として残りました。

 

原監督:

ビョン監督からわたしに質問してほしいことがあるんだけど。たくさんの登場人物の中で、誰に一番心が動くか。

 

ビョン監督:ではその質問で(笑)

 

原監督:

見ると必ず泣いてしまう人がいる。韓国から来て、結婚して、でも結婚相手がひどくて苦労して、初めて自分の時間が持てるようになって夜間学校に通う女性。名前が書けるようになって「勉強するっていいね」っていうあのシーンは見るたびに感動します。

 

ここから観客の質問ですが、力尽きたので明日以降に~(覚えてるかな…)

 

映画は来年3月公開予定です。ぜひ、ご覧くださいニコニコ