或る王女の物語~徳恵翁主~ | なりあやの韓国シネマ留学記

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2017年、3度目の韓国留学。
ソウルの大学院で映画を勉強します!

お芝居見ながらこんなにポロポロ泣いたのは初めてかもしれない。

新宿三丁目の「SPACE雑遊」で上演中(6日まで)の「或る王女の物語~徳恵翁主~」見てきました。温泉ドラゴンさんの公演です。

 

 

徳恵翁主(トッケオンジュ、1912~1989)。

実は、ネタ出しした張本人がわたくしです(笑)

 

作・演出のシライケイタさんに別件で取材した際に、「秋に日韓モノで上演する予定なんだけど、何かない?」と聞かれ、うれしくて五月雨式にいっぱい提案しました。

その中で、真っ先に提案したのが、徳恵翁主でした。

 

日本ではほとんど知られていないと思いますが、朝鮮王朝最後の王女です。

韓国でも、わりと近年まであまり知られていませんでした。

 

わたしが徳恵翁主のことを知ったのは、2014年、ホ・ジノ監督の「危険な関係」の日本公開前のインタビューでした。最後に「次作は何か準備されていますか?」の質問に「トッケオンジュ。だいぶ前から準備してるけど、なかなか難しくて……」とおっしゃったんです。

 

その時は、漢字変換もできず、「トッケオンジュ???」っていう状態でしたが、帰って調べて、こんな人がいたのか、と。

 

皇帝高宗(コジョン)の娘で、幼い頃はそれはそれは可愛がられたそうです。

でも、生まれた1912年は日韓併合の2年後。

高宗が1919年に亡くなり、お姫様の運命も歴史に翻弄されていきます。

本人の意思とは無関係に日本へ留学、日本人と結婚、娘が生まれるも、徳恵自身は精神を病んで入院。終戦後も長く祖国に帰ることができず、娘は遺書を残して行方知れず。

 

シライケイタさんからは「徳恵翁主でやることに決めた」という連絡の後、「執筆にかなり苦しんでる」という連絡があり、ちょっと後悔しました。あまりにも軽々しく提案してしまった気がして。よくよく考えると、残された資料もほとんどなく、しかもあまりにも悲劇的な人生のため、暗すぎる話にしかならないのでは……と。

 

でも、今日の作品を見て、その心配は大きく裏切られました。

統合失調症だった徳恵自身の言葉はほとんど残っていないんですが、その頭の中の世界が、山幸彦と海幸彦の神話に重ねて楽しく描かれていました。

そしてそれが、ぴったり、徳恵と夫の宗武志(そうたけゆき)に重なる。

 

とっても楽しみにしていたホ・ジノ監督の映画「徳恵翁主」は今夏韓国で公開され、夏休みに見たのですが、正直、人間徳恵を描けていなかった気がします。歴史に翻弄されたというのは描かれていましたが、独立運動に絡めた部分などは、あまりにも徳恵とかけ離れている気がして、納得がいきませんでした。

 

そして今日初めて、「やっと徳恵翁主に会えた」という気がしました。

それでちょっと恥ずかしいぐらい泣けて泣けて。

 

シライケイタさん、ご出演の皆さん、ありがとうございました(´∀`)

 

徳恵翁主へのこだわりの理由は、もう一つありました。

ホ・ジノ監督が映画化するというので、母に徳恵翁主の話をしたところ、「なんかその話聞いたことある」と言って、思い出して話してくれたのが、母のヨガの師匠のお母さまの話。

 

そのお母さまは日本人ですが、植民地朝鮮で育ち、小学校のクラスに李家のお姫様がいたというのが、まさに徳恵翁主なんです。

お姫様がお箸を付けるまではみんな食べられなかったとか、具体的なエピソードも聞いていて、当たり前ですが、ほんとに実在した人なんだと親近感がわきました。

そのお母さまはご存命ですが、認知症で今はやりとりが難しいようです。もう少し前に知っていたら、取材させていただきたかった。でも、もしかしたら、写真とか、何か資料をお持ちかもしれないですよね。ちょっと今度、師匠に聞いてみたいと思います。

 

ネタ出ししておきながら、全然紹介ができずにスミマセン……いまさらですが、6日まで、ご都合つく方はぜひご覧になってください。

徳恵翁主なんてまったく知らないという方でも、オススメです!