韓国映画⑪シークレット・サンシャイン | なりあやの韓国シネマ留学記

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2017年、3度目の韓国留学。
ソウルの大学院で映画を勉強します!

イ・チャンドン監督の「シークレット・サンシャイン」(2007)、何回見ても新たな発見がありますハート





主演のチョン・ドヨンがカンヌ主演女優賞に輝いて話題になったこともあり、韓国での公開後すぐに見ました。


韓国でわたしが感じていた「キリスト教」に対するもやもやした違和感の正体を指摘してくれたようで、霧が晴れるような感覚でした。


当時付き合っていた彼がクリスチャンだったこともあり、留学中は毎週日曜、教会に通っていました。


わたし自身、保育園がキリスト教系だったこともあり、お祈りする習慣もあったし、クリスチャンではないけど、キリスト教にはむしろ親しみを持っていた方です。


なのに、なぜか、居心地が悪かった。みんなで手をつないで「朗らかに」讃美歌を歌うのは、なんか自分にうそをついている感じがして気が引けました。


別になんの嫌なことがあるわけでもないのに、日曜朝がちょっと憂鬱でした。

信仰心がないのかというと、そうでもない。

それがキリスト教の神様かは分からないけど、なんとなくの信仰心はあったりする。


主人公のシネは、わたしと真逆です。

教会に誘われても「わたしはそんなの信じない」とあしらっていたのが、息子の誘拐事件を境に変わっていく。


夫に先立たれ、最愛の息子が誘拐され、心のよりどころを求めたシネは教会へ。

一変してのめりこんでいく。

臭いものにふたをするように。


でも、それって信仰はてなマーク


ある日、誘拐犯に面会に行くと言い出す。

「許してあげる」と、直接伝えたいと。

ところが、面会した誘拐犯は意外にも穏やかな顔をしていた。

「神様に許してもらった」と。


許してあげる機会を神様に奪われたシネ。

許したかったわけでなないんですよね。

許してあげる自分に酔いたかった。

そこからは、神様への復讐が始まります。


わたしは心のどこかで、みんなと一緒に讃美歌を歌わなくたって、信仰心は自分の中にあると思っていたのかも。

信仰を確認するかのように、毎週日曜に教会に集まるのが、わたしには偽善的な感じがして、しんどかったんやなーと、思います。

なにか教会に通う人同士「わたしがより敬虔」とアピールしあってるような。

もちろん、そうでない人もたくさんいたと思いますが、そんな雰囲気を感じていた気がします。


日本の教会にも行ったことがありますが、韓国で感じたようなことを感じたことはありません。

たぶんですが、日本で教会に通うクリスチャンは人数が少ない分、信仰があつい人が多いのでは。

クリスチャンの多い韓国は教会が自治会のようなコミュニティーになっていて、玉石混交といえば失礼かもしれないですが、ただただ神聖な場所という感じではなかった。


別にキリスト教批判の映画ではないですが、韓国の一つのありがちな現実だと思いました。

信仰しているふりをしたって、人は本当の意味では救われない。


イ・チャンドン監督のメッセージは、むしろ、シネにつきまとう田舎のおじさん、ジョンチャン(ソン・ガンホ!)に込められていると、何度も見て、分かりました。


最初は、国民俳優ソン・ガンホが、なんでこんな存在感のない役を…と思いましたが、その存在感のなさが、シネが見ようとしない、現実。でも、振り返ればいつも、ジョンチャンに助けられていた。神様でなく。


夜中に一人カラオケをするような、もっさいおじさん。

でも、等身大を生きている。

幸せはむしろ、こっちにある。


ちなみにこの映画、「不親切」という評も多いです。

イ・チャンドン監督はいつもそうですが、簡単には理解できない。

でもなぜか、何度でも見たくなります。

おもしろい!と思っても1回しか見ない映画もけっこうあるので、不思議です。





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