イ・チャンドン監督の「シークレット・サンシャイン」(2007)、何回見ても新たな発見があります
主演のチョン・ドヨンがカンヌ主演女優賞に輝いて話題になったこともあり、韓国での公開後すぐに見ました。
韓国でわたしが感じていた「キリスト教」に対するもやもやした違和感の正体を指摘してくれたようで、霧が晴れるような感覚でした。
当時付き合っていた彼がクリスチャンだったこともあり、留学中は毎週日曜、教会に通っていました。
わたし自身、保育園がキリスト教系だったこともあり、お祈りする習慣もあったし、クリスチャンではないけど、キリスト教にはむしろ親しみを持っていた方です。
なのに、なぜか、居心地が悪かった。みんなで手をつないで「朗らかに」讃美歌を歌うのは、なんか自分にうそをついている感じがして気が引けました。
別になんの嫌なことがあるわけでもないのに、日曜朝がちょっと憂鬱でした。
信仰心がないのかというと、そうでもない。
それがキリスト教の神様かは分からないけど、なんとなくの信仰心はあったりする。
主人公のシネは、わたしと真逆です。
教会に誘われても「わたしはそんなの信じない」とあしらっていたのが、息子の誘拐事件を境に変わっていく。
夫に先立たれ、最愛の息子が誘拐され、心のよりどころを求めたシネは教会へ。
一変してのめりこんでいく。
臭いものにふたをするように。
でも、それって信仰![]()
ある日、誘拐犯に面会に行くと言い出す。
「許してあげる」と、直接伝えたいと。
ところが、面会した誘拐犯は意外にも穏やかな顔をしていた。
「神様に許してもらった」と。
許してあげる機会を神様に奪われたシネ。
許したかったわけでなないんですよね。
許してあげる自分に酔いたかった。
そこからは、神様への復讐が始まります。
わたしは心のどこかで、みんなと一緒に讃美歌を歌わなくたって、信仰心は自分の中にあると思っていたのかも。
信仰を確認するかのように、毎週日曜に教会に集まるのが、わたしには偽善的な感じがして、しんどかったんやなーと、思います。
なにか教会に通う人同士「わたしがより敬虔」とアピールしあってるような。
もちろん、そうでない人もたくさんいたと思いますが、そんな雰囲気を感じていた気がします。
日本の教会にも行ったことがありますが、韓国で感じたようなことを感じたことはありません。
たぶんですが、日本で教会に通うクリスチャンは人数が少ない分、信仰があつい人が多いのでは。
クリスチャンの多い韓国は教会が自治会のようなコミュニティーになっていて、玉石混交といえば失礼かもしれないですが、ただただ神聖な場所という感じではなかった。
別にキリスト教批判の映画ではないですが、韓国の一つのありがちな現実だと思いました。
信仰しているふりをしたって、人は本当の意味では救われない。
イ・チャンドン監督のメッセージは、むしろ、シネにつきまとう田舎のおじさん、ジョンチャン(ソン・ガンホ!)に込められていると、何度も見て、分かりました。
最初は、国民俳優ソン・ガンホが、なんでこんな存在感のない役を…と思いましたが、その存在感のなさが、シネが見ようとしない、現実。でも、振り返ればいつも、ジョンチャンに助けられていた。神様でなく。
夜中に一人カラオケをするような、もっさいおじさん。
でも、等身大を生きている。
幸せはむしろ、こっちにある。
ちなみにこの映画、「不親切」という評も多いです。
イ・チャンドン監督はいつもそうですが、簡単には理解できない。
でもなぜか、何度でも見たくなります。
おもしろい!と思っても1回しか見ない映画もけっこうあるので、不思議です。
- シークレット・サンシャイン [DVD]/エスピーオー
- ¥5,040
- Amazon.co.jp
