高校時代に習った、ニュートンの運動の第一法則が慣性の法則である。


懐かしい。


急になぜこの話を持ち出したのかというと、人間にも同じ法則が当てはまると思ったらからである。


慣性の法則とは、

「静止している質点は、力を加えられない限り、静止を続ける。運動している質点は、力を加えられない限り、等速直線運動を続ける」

というものであった。




最近流行のiPhoneに代表されるスマートフォン。


使っている人はいるだろうか??


私はつかっていない。


みなさんはスマートフォンについてどう思っているだろうか??


かっこいい!アプリがたくさん使える!便利!タッチ式がいい!画面が大きい!などなど

前向きな意見も多い。


しかしひとつ気になっていた点が、入力方式。


タッチパネルで”あいうえお”を入力する方式。


いまの従来の普通の携帯は”あかさたな”が割り振られた数字キー入力方式。


たいていの人はこれに慣れているだろう。私もなれている。



最近、我が会社に内定をもらった大学3年生達と会話する機会があった。


その学生達はスマートフォンを使っていた。



文字入力は、やりづらくないか聞いてみた。


「ぜんぜん慣れますよ」


とはいえ、いまの(従来の)キー入力方式のほうが使いやすいでしょ?


「こっち(タッチ)のほうが使いやすいですよ」


でもさすがにキー入力方式のスピードのほうが速いでしょ?


「いやむしろこっち(タッチ)の方が速く入力できますよ!」


これには衝撃的を受けた!!


従来の携帯の唯一勝っているだろうと思っていた点がいともあっさりと覆された!

もはやスマートフォンに比べ従来の携帯の優位性はないことがわかった。



スマートフォンの入力方式について世間の親父達(私も含め)はたいていこう言う。


「文字入力はボタンを押した感触がないとすばやく打てないんだ」


自分がついていけないものに対して否定的な見解を示し今の自分の地位を守ろうとする。




一方、初めてiPhoneを触って、入力方式を試してみた同世代の女性はなんと言ったか。


はじめは、どうすんのこれ?なんて言っていたが、ある瞬間に、


「これやばい、はまりそう!なんかおもしろい!」


入力がうまくできるようになったのか聞いてみたらそうでもないらしい。


ここで女性のiPhone保有率が高い理由のひとつが垣間見れた気がした。


新しい入力方式に対して”おもしろい!”といったのである。


常に新しいものに興味を持ち、最先端の流行に敏感で、次から次へと新しいスタイルを取り入れようとする。



ここまでくるとわかると思いますが、

つまり人間慣性の法則とは、


「静止している男性は、力を加えられない限り、静止を続ける。運動している女性は、力を加えられない限り、等速直線運動を続ける」


慣性の法則の2面性を、人間の性質からも表現できるんだなぁと感じたのでした。

もうご存知だと思いますが、今らーめん界では”つけめん”が大人気!


何がそんなにつけめんに人を引き付けるのでしょう??


ただ、ラーメンとは違う全く新しい麺食の誕生であることは間違いないです。


まったく違うらーめんなのに、普通のラーメンをスープと麺を別々に出しているだけの

つけめんもあるのでご注意を。あれは、つけめんでも何でもありません。分け麺です(^-^;



本格的なつけめんやが増えてきていますが、六厘舎は別格。

これはミーハーでもなんでもありません。


以前、会社の近くにつけめんやがあり、そこによく昼ごはんを食べに行っていました。

後引くうまさで、定期的に行きたくなったほど。あそこのつけめんにはヤバイものが入っているという噂まで(笑)。麺も極太で味があり、スープも魚だしがきいていて濃厚。

これだけうまけりゃ、世でどれだけつけめんが騒がれていようが、ここで十分と思っていたほど。


それから少しして六厘舎がニュースになるくらい人気で、

そんなに人気なの?とおもっていましたが、あまり興味がありませんでした。

おいしいって言ったって、さほど変わらんだろうと。


いつも六厘舎の近くを通ると、ディズニーランドか!?というほどその一角だけ長蛇の列。

こんな並ぶ価値はさすがにないと思っていました。



あるとき、行列がいつもの半分くらいだったので、今日は並んでみるかと思い

それが六厘舎初体験となったのです。ちょうど一ヶ月くらい前かな。



それからすでに3回目! 



空いている時間帯にそこを通るときは、どうしてもまた食べたくなって行ってしまいます。

完全にハマリです。

おいしいと満足していたつけめんやを麺でもスープでも一歩も二歩も先を行っていました。



六厘舎の特徴です。


超濃厚スープは、豚骨、鶏がら、魚介だしが煮込みに煮込んで溶け込んだスープ。

味はインパクトがもちろん強いですが、これがしょっぱいわけではない!

甘みと香辛料の香りが口に広がるヤミツキになる味です。


そして超極太麺。細めのうどんに匹敵する太さでありながら、その麺をかめば噛むほど

ほんのり麺の甘さが広がってくるわけです。

麺は固めなので、やわ麺が好きな人にはちょっと向かないかな。

麺やわらかめで!というとちょっとどうなの???という雰囲気になるのでは。

(ただ、後で述べるがもし言ったとしても受け入れてもらえるのではないかな)


そして最後に、スープ割り。これがうまい!

濃厚スープに薄いスープで割って、ちょうどいい味になったスープを最後まで飲み干す。

割りスープにもスパイスが入っているんだと思います。(多分)

いろいろなスパイスがきいていて体が温まるスープになります。

ゆず粉末を入れるとさらに香りが良くなります。


なりっちの快感アーティスティックにいきたい!ブログ



そして最後の最後に、これが六厘舎の他のらーめん屋とは異なる真髄。

サービスレベルがとても高い!女性にも配慮がしっかりされている。

つゆが飛ぶのが気になる人のために”前掛け”、髪が長くて気になる人のために”髪留め”まで

言えば提供してくれるという。女性が一人できても大丈夫な雰囲気すらある。

店員は忙しいのにも関わらず、スープ割りを頼むときもとてもお願いしやすい雰囲気。

すぐに快く対応してくれる。

先に出てきた話しですが、サービスレベルが高いので、ある程度の要求にも対応してくれるのではないかなということです。


なんとも食べた後に気持ちい気分になれるつけめん屋さんなのです。


機会があればぜひお勧めします!

ガンダムOOの映画を見に行ってきた。


ネタばれというほどでもないが、これから映画を見たいひとは、読まないでください。

(一部、戦う相手について言及しています)




映画館を出た後、周囲のガンダムマニア達の間で交わされる会話を聞いたけど、さまざまな感じ。


全体の感想としては、正直いまいちだった。素晴らしいがいまいちなのである。



テレビ版が終了して1年半越しの映画であり、実際のストーリーも2年後という設定になっている。

テレビ版の出来が良かっただけに、そういう意味で残念であった。

人間味が薄かったという点で。


素晴らしい点はたくさんある。

映像のスピード感、爽快感は凄まじいものがあり、見るものを引き込んだと思う。

またストーリーの壮大さ、テーマ性、メッセージ性も大きかった。


メッセージは『対話』


これは重要なテーマだと思う。いまの世界にとっても大きなテーマ。

まさにいまの中国との関係においても『対話』が一番重要である。



ただ、その『対話』の重要性を説くにあたり、

地球連邦軍が地球生命体として、未知の木星生命体と戦うことに、

なかなか感情移入ができなかったのだ。


木星生命体は『対話』ができる相手ではなかった。対話というか、会話ができる相手ではなかったと

言った方が正しいのかもしれない。


ガンダムの世界では、戦う意味は個人個人にあり、敵味方の区別無くそれぞれの人間模様がぶつかり合う様が

見所であるが、木星生命体は人間ではなく、なかなか思いが見えない。


その凄まじい戦いの間、その戦いの意味が見えてこないのである。

とにかく打ちまくるだけ。


ついに、『対話』がされるのであるが、前置きが無いだけに感動が薄い。

たくさんの魅力的な登場人物が死んでいく様も扱いがあっけなすぎる。



明確に『対話』できるものと対話するストーリであれば感動はまったく異なるものになったと思う。


『対話』できないものに対してでさえ、本気で『対話』をあきらめず対話を試みれば、

必ず分かり合えるんだ!というメッセージがあるとすれば、それそれでもちろんすばらしい。


それを、映画としては別の表現にしてくれたほうが感情移入できて泣ける映画になったと思うのだ。



ガンダムOOは今の時代に対する強烈で一番大事なメッセージを訴えている。


『対話』


相手の真意を引き出すことに難しさがあり、相手も簡単にはその真意を表さない。

だから衝突が起こり戦いが生ずる。その戦いにはそれぞれの錦の御旗があるわけだから

相手のことなど理解しようとは思わない。一方的なのである。


その意味でこの映画はまさにそれを描いているし、難題を映像化しているのだ。

否定はまったくできない。


ただ、『映画』として人間模様や感動が薄かったと思うだけなのである。

映画と視聴者の間で『対話』が成功したのかという点に疑問が残るだけである。



あーだこーだ言って来ましたが、

大好きなガンダムだけにもっと泣きたかったというのが真意なのでした。

今、『ローマ人の物語』で有名な塩野七生の著書を読んでいますが、この人の考え方はすべて面白い!


その中のひとつに、高級ブランドの価値というか、効用について書かれた内容があるのですが、それを読んでとても共感した。

最近、ちょっと感じていることとまさに一致したからだ。


最近価格破壊が起きていて、某UNIQLOなど低価格商品を売るブランドが急成長している。

これは、消費者が安さを一番の価値として選択しているからだ。

”安いが一番”この価値観が危険であり、価格破壊、デフレを引き起こし、経済低迷から脱出できない要因のひとつともなっていると考えられる。 

本当にいいものを作り、満足のいく価値を提供できる本物の人(職人)が食べていけない状態を作る。

その結果いいものが作れなくなり、安いものばかりが氾濫することになっていくわけだ。



”安い” が一番の価値と考えるのは、いろいろな意味で損だと思う。


塩野氏は、女性の視点からファッションの観点で言及している。

要約すると、

・高級ブランド品は想像力を刺激してくれる。想像力が鍛えられ、人として重要な能力である。

・その想像とは、その高級ブランド品をいつ、何とどのように組み合わせて着ようかなどを楽しく思い巡らすこと。

・安物セーターはセーターでしかない。それ以上のものでない。



自分が最近同様のことをいくつか感じていて、

ひとつの例として、最近自転車を買ったエピソードを紹介したい。


自転車がほしいと以前から思っていた理由は、

自転車で家から銀座まで行って走り回りたい!と夢を抱いていたからだ。

ただ、いざ買おうと行動しはじめた当初は、自転車に対する知識やこだわりを持っていなかったため、ショッピングセンターなどで自転車を買おうと見て回っていた。最近のママチャリは安い。一万円ちょいから一万円弱で買えたりする。

あまり高い金出しても毎回乗るわけでもなし、そのくらいでいいかなと思っていたほどだ。


昔の自分なら、自転車はそれくらいの価格で購入して、それで買い物や移動が楽になれば十分だと思って買っていただろう。


これが”安いが一番”の考え方。


ポイントは、”買い物や移動が楽になる”という価値を得ようとしていたことになる。結果きっと得られただろう。買い物に自転車で行って楽チンだっただろう。それで終わり。

果たして銀座に行こうと本当に思えただろうか・・・・・



実はいまの自分はこの状態とは次元の異なる価値を得てしまった。

移動手段ではなく、完全に走りそのものに魅力と快感を感じてしまったのである。

よって”自転車に乗ること自体が楽しい!”という価値観が生まれた。


その結果、大いに想像力は刺激され、今度いつどこに走りにいこうかな、どこまでいけるかな、東京ツーリングスポットはどこかな、盗まれたくないな(愛着)、雨の日は汚れるな、、、、、etc

いろいろな想像が思い巡っているのである。



購入した自転車は、世間で注目されている安くてカッコイイというショッピングブランドの自転車ではなく、

その道の米国ブランドメーカーで走りとフォルムに拘ったミニベロを買った。

素人であるため、それこそレースに出るわけではないので、ロードレーサーやMTBの超高級車を買ったわけではない。


それなりに適正な価格帯のモデルを購入したのだが、

その走りは、ママチャリしか知らなかった自分の概念を打ち砕いた。


これを買って走ったことから得られた刺激はとても大きく、ママチャリを買った場合では感じえなかった、知ることが

できなかった、圧倒的に広い世界が眼前に広がったのである。


高い物がいいと言っているわけではない。”安いが一番”は得ではなく損をすることも多くあることを知ってほしいということである。



夜景を見ながらの自由気ままなサイクリングが気持ちいい季節になってきました。

冬はちょっとつらいけどね。


そうそう、銀座を自転車で疾走する夢、自転車を購入したその日の夜に叶えてしまいました(笑)




ブログに関する記事があったので、ブログは何なのか考えてみた。


久々にブログを書いた感情はどこからきたものなのか。


まず、溢れる気持ちを伝えるには不十分な身の回りの環境のため、伝えられないという欲求不満のはけ口としてブログというメディアに意識が向いた。
たくさんの人に伝わるだろうという妄想と期待に駆られて。


そしてソーシャルメディア化したこのブログを通じて身近な仲間と気持ちを共有したかった。

これが理由のようです。


このような内容が集まったソーシャルメディアは何の体を表すのでしょう。


強烈な±感情の集まりだとすると、普段処理仕切れない個々人の感情が渦巻いているメディア。
そのときに湧いたリアルな気持ちの片鱗が見える。
人の本音、社会の本音が見えてきたりするのではないでしょうか。

でもその力は強いものであるからこそ、ネット上で吐き出すのはもったいないかもしれない。熱い思いはリアルの場に吐き出してリアルに動かしたほうがいいのではないか。ネット上に吐き出して、満足感を得てしまうと、教科書を買って勉強した気になったあの気持ちに等しくなっているかもしれない。

ただ、書くことで気持ちが落ち着いて整理され、ある種の満足感を得ることも確かだと思う。


こんな内容も企業のマーケティングの一つとして扱われていくのでしょうかね??(^o^)