目白教会 早天祈祷会 2024年3月29日(証・あかし) | 安田あんみ オフィシャルブログ 

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  何物でもない、オンリーワンの私をめざして
 

今朝、イースター前の早天祈祷会で、

証・あかしをさせて頂くお恵みに与りました。

 

今一番楽しんでいる「森づくり隊」についてお話しし、

その中で「神様の業」が見いだせるとお伝えしました。

 

~★~原稿を掲載いたします~★~

 

私が最近ハマっている事、というか、これからのライフワークの1つにしていきたいことに、「森づくり、森の整備」があります。

「森づくり」などと言うと、植林するんですか? と聞かれますが、そうではなく、下草を刈ったり、道を作ったり、「しがらみ」「足掛かり」を作ったりすることなんです。

昨今、日本各地で大雨が降って、土砂災害にあっています。あれは、まさに森が荒れているからです。本来なら、雨が降って土に沁みて地下水になれば土砂災害などないのですが、森や山が放置されて、木が藪化し、雨が沁み込めず、水が表面を流れ濁流になるから土砂災害になるのです。ダムを作ったり、防波堤を作って大雨に備える、などと考える行政がありますが、それはまったくの逆効果で、土が死んで、草木がやせ細り、森を殺すようなことなのです。

「足掛かり」とは斜面を垂直に切り、水平にも切り、角のところに細かい炭を入れ、落ち葉や枯れ枝を入れていく作業です。斜面に何個か作っていけば階段になります。「しがらみ」と言うのは、斜面に土留めの造作をすることで、同じく底には炭を撒き、枯葉や枯れ枝を入れていきます。それらの行為は土の中に菌糸を育てることになります。炭が菌糸の住処となり、木や草を成長させ、やがて土が蘇っていく。初めはシャベルで歯が立たなかった土壌も、「足掛かり」や「しがらみ」を作ることで、2、3か月のうちに沈むような柔らかい土壌になります。

 

倒木があり、藪化している森も、丁寧に藪を取り除くと、見事に風の通る居心地の良い森林になります。

私は、3年ほど前から、1か月に1度くらいで、そうした森づくりの手伝いを高尾の森でしておりました。残念なことに昨年の夏前に、管理の体制が変わって、高尾には行かなくなったのですが、そこで出会った森づくりの仲間に入れて頂き、改めまして「出張・森づくり隊」として活動をしています。

昨年の11月には能登に行ってきました。また2月、3月には静岡・牧之原でも森作り隊の活動をしました。

「森が喜ぶ森づくり」「100年先の地球を考えて、今出来る事」そのようなキャッチフレーズで行っている森づくりは、報酬や見返りのある活動ではありません。むしろ、交通費や宿泊費を使い、お弁当や食事も自分たちで調達します。森と言ってもどなたかの所有物なので、許可を得て、所有者の方にも満足して頂けるような将来設計を提案して始めていきます。

11月の能登では3日のうち2日間が大雨で、雹まで降る寒い中、きつい労働が続き、泥だらけで帰った時に子どもたちには「なんかの修行??」と聞かれました。

そんな森づくりですが、私には想像をはるかに超えた神さまのお恵みを感じられ、心豊かに達成感でいっぱいになり、心も身体も活力がみなぎり、東京の日々の生活まで彩り豊かになっていきました。

とにかく、森に分け入っていくだけで、感覚が研ぎ澄まされていきます。

森の将来設計は最初にシェアして、初心者の方には「しがらみ」や「足掛かり」の作り方は丁寧にお教えしますが、ある程度になると、どこをどうするかはそれぞれに任されます。じゃあどうするのかと言えば、「森が喜ぶ、自分たちが居て心地よい空間を作る」と言うことなのです。つまり、森を静観し、木々を見つめて、風を読み、音を聞く。そして、限られた時間の中で、何をするのが一番いいのか、真剣に考える訳です。自分の感覚を信じるしかありません。

でも、うっそうとした藪化しているところを刈り取ると、爽やかな風が通った時、枯れ沢に細い水が流れているのを、溝を掘り、石をどけると、ふさがれていた湧水が噴出してきた時、倒木を「しがらみ」作り直し、山の斜面を段々にして、土が蘇り、土砂崩れの心配がなくなった時、得も言われぬ幸福感、満足感が味わえるのです。

山登りやハイキング、家庭菜園とは規模が違う自然との戯れは、最先端な娯楽?趣味?かもしれませんが、私は「神様の業」を見出します。

 

マタイによる福音書 6章36節~30節

空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値があるものではないか。あなたがたのうちだれが、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばすことができようか。なぜ衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装って下さる。

 

神様は、ありのままが美しいとおっしゃいます。

じゃあ、森づくりはありのままに手を加えるような行為? と思われるかもしれませんが、そうではありません。

一昔前は、春に山菜を取りに行き、タケノコを掘るついでに、森いじっていたのです。秋にキノコを採り、紅葉を楽しむついでに、足掛かりを作っていたのです。それをしなくなったから、森が荒れ果て、土砂崩れが起こる。

だから、私たちはわざわざ森に行き、森づくりをしているのです。

ありのままの本来の美しさを甦らすために、ほんの少し造作をしています。

ありのままの本来の美しさを思い起こすために、心を感覚を研ぎ澄ませ、森に聞くのです。そのままで良いとおっしゃる、神様の業のお手伝いをしています。

なので、どんなに大変な作業をしたとしても、やればやるだけ活力がみなぎってくるのだと思います。

そんな森づくり、これからも出来る範囲で、やっていこうと思っています。

 

お祈りいたします。

今朝は、証をさせて頂くお恵みに与れたこと、心より感謝いたします。

またイースターの早天祈祷会に、愛する兄弟姉妹方と祈りを合わせることができる喜び、ありがとうございます。

「森づくり」ということを通して、私は神様の業を見出します。

どうぞ、これからもありのままの森、そして私たちでいられますように、お守り、お導きください。

明後日のイースターへの道も、整えていくことができますよう、お支え下さい。 アーメン