いまの日本は、世界中から資源や食料を入手して物質的には溢れんばかりの豊かさを享受している。そしてその豊かさの反面では、大量の廃棄物が海や山を埋め尽くすような事態が生じている。思えば、日本の歴史のなかで今日ほど食生活を急速に変化させている時代はないのではなかろうか。

社会の構造や経済が成熟度を増した現在を、俗に物質文明と呼んでいます。
 物質文明は、衣・食・住など人間生活のあらゆる面において豊かさを私たちに与えています。
 カラフルで機能性に満ちた衣服をまとい、栄養価が高く美味しい食事をとり、暖かい家に住んでいます。
 この豊かさのほとんどはお金を支払った代償として得たものです。
 「物々交換的」な世とは異なって、総てがお金で解決され「金が敵の世の中」の様相をみせています。
 しかし、「心の豊かさ」「人間らしさ」の観点からはこれらの事象をどのように理解すべきでしょうか?
 農業・農村は、緑・空気・水そして土など人間が本来欲求する総ての条件を満たしてくれるものがそこに存在します。
 古くの農村では、ただ単に農畜産物を生産する場だけではなく、食物を加工し貯蔵する場でもありました。
 本来、食物は自分で作り、自分で採取し、自分で加工していたはずです。
 そこに食の原点があったとしては誤りでしょうか?
 採れた素材をその地域の気候風土の下で、その地域特有の技術で加工し豊かな食物に変化させる。
 そこには、潤いと、暖かさと、そして豊かさがあったはずです。
 もう一度、足元より食文化を見つめ直す必要がないでしょうか?

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今日、あふれかえるほどのモノの豊かさを享受できる時代を迎えた。ありとあらゆる食べ物を世界中から入手し、飽食のかぎりをつくせる状況の中で、私たちはかえってモノや食べ物を粗末に扱うようになっているのではなかろうか。食べ物や農業の世界のもつ奥深い意味を感じとる感性をにぶらせてしまい、十分に認識する力を失いかけているように思えてならない。