母は県犬養橘三千代、父は美努王の子として生まれました。
三千代は後に不比等の後妻となり光明皇后を、そして光明皇后と聖武天皇の子供が孝謙天皇です。
う~ん、ちとややこしい

この橘諸兄は生前、正一位まで上り詰めた凄腕の人物。しかしラッキーな事が積み重なっていたんですよね~
長屋王の祟りでも取り上げた藤原四兄弟。長屋王の死後、国内で大流行した天然痘によりあっけなくこの世を去ってしまいます。
藤原4兄弟は誰もが政治の重要な役職についていたのですが、一気に4人の役職に穴が空いてしまいました。
この穴埋めとして抜粋されたのが橘諸兄と、鈴鹿王です。
藤原4兄弟は不比等の子供、橘諸兄は不比等の後妻となった三千代と前夫との間の子。
全てが三千代と不比等の血筋で固めようとしていたのかもしれませんが、それだけの権力があったのは確かなよう。
諸兄と不比等は義理の親子関係ではありますが、藤原家にとって皇族との繋がりを持つ大切な存在だったのでしょう。
また不比等以上に虎視眈眈と地位を狙っていた三千代にとっても、かなり心強い存在だったはず。
頭も切れる有能な官僚といった所でしょうか。
しかし残念な事に「上皇を批判した」との問題が浮上。
藤原仲麻呂、後の恵美押勝を後押しする力が諸兄を失脚に導いた結果、左大臣を辞職し政界を引退する事になりました。
藤原家の権力と孝謙天皇の力が諸兄の人生を変えてしまったのでしょうか。
その2年後、この世を去りました。
人生の流れは突然の出来事で右往左往してしまうのはどの時代も同じですが、人から恨まれたり妬まれるのも同じだったんですね
諸兄は70代でこの世を去ったので、ある意味人生を全うしたと言えるかもしれません。しかし引退に追い込まれたと考えるなら何だか後味が悪い終わり方ですよね(^^;;
スマホアプリで漫画を無料で読むならここから出来ます!