皇后の地位についた阿倍内親王の母、光明皇后は皇族出身以外で初めて皇后になった方です。
非常に信仰心が厚く亡くなった藤原不比等からの莫大な財産もあったので、阿修羅像で有名な興福寺に病気を治療する施薬院と身寄りのないお年寄りや孤児を引き取る悲田院を設置します。
飛鳥・奈良時代は多くのお寺が建立された時代でもあるのですが、お寺は今のように誰もが気軽に立ち寄れる場所ではありません。
天皇家や国家を護る為に建立されていた寺院。そんな中、庶民の為に開かれた施薬院と悲田院は画期的だった事でしょう。
少し先の話になりますが、行基という僧侶を聞いた事はありますか?奈良時代のお寺
は天皇家や国家を護るための物だったのですが、これを一般に広げたのがこの行基という僧侶。今私達が好きな時にお寺を参拝できるのは、この方がいたおかげなのかもしれませんね。
さて話を元に戻し、、、
慈善事業に力を注いでいた光明皇后ですが、母の三千代が他界してしまいます。
頼りにしていた母の死を受け入れる事が出来ず、布団からも起き上がれなくなる程落ち込んでしまった光明皇后。しかし落ち込んでばかりもいられませんでした。何故か・・・
この時代は祟りや怨霊と言った事が当たり前にあると考えられていた時代。第三章で藤原家の陰謀により無念の死を遂げた長屋王の祟りだと一般庶民の噂になる事を恐れたからなのでしょう。
その思いを胸に元気を取り戻した光明皇后は更に慈善事業へと力を注いでいくのでした。
怨霊や祟りを少し調べてみると、道教の色がまだ残っていたこの時代なので呪詛や呪詛返しなどの方が意味としては強いのかもしれません。
祟りはもう少し後から出てくるのですが、邪気や悪いモノから身を守る事や寄せ付けないと言う考え方は昔からあったはず。
祈る事は仏教が日本に入る以前から行われていたのですから、目に視えない恐怖は昔から誰もが感じていたんでしょうね。
次は第五章を読んだ感想をお伝えしますね。