人生で起きるすべてのことに意味があるなんていうけれど、それは本当かしら?
こんなにつらく無意味に感じられる日々に意味があるなんて。
私は大丈夫って思いたいけれど、綱渡りをしているような不安定な毎日で、それが信じられない日もある。今日はそんな一日でした。生活の中で自分のコントロールが効かない部分が大きいのは苦痛ですね。自分次第じゃなくてあの人次第だなんて。
人生で起きるすべてのことに意味があるなんていうけれど、それは本当かしら?
こんなにつらく無意味に感じられる日々に意味があるなんて。
私は大丈夫って思いたいけれど、綱渡りをしているような不安定な毎日で、それが信じられない日もある。今日はそんな一日でした。生活の中で自分のコントロールが効かない部分が大きいのは苦痛ですね。自分次第じゃなくてあの人次第だなんて。
電話がこない・・・。
どうしてなの。今頃何をしているのかしら。忙しいだけ?もしかしたら今、あの人といっしょなの?それとも、もう私のことなんてどうでもよくなってしまったの・・・。
事実は自分のその行動に対しての意味づけや解釈とは別のところにあるかもしれないわけです。しかし、ある行動に意味づけや解釈を加えることによって次の道が決まってしまう。例えば、電話のこない理由を誰かといっしょだから電話できないのだと解釈したとします。すると疑心暗鬼になり、次に彼から連絡がきても、彼女との時間が終わったから自分のところにきたんだと考えてしまう。するとぎくしゃくしてしまいうまくいかない。ところが、ここでの解釈を電話が来ないのは彼が忙しいのだと考えたとする。すると次に彼から連絡がきても、忙しい時間が終わって自分との時間を取ろうとしてくれていると積極的に解釈できるかもしれない。
起きていることは一つしかないわけですが、そのことを知る由がない場合、人は勝手な解釈を繰り広げていきます。
それだったら、事実を事実としてだけ捉えるほうが公平なのではないか。「電話がこない」ただそれだけ。勝手な意味づけや解釈は自分の首を絞めることになると思うのです。起きていることをそれだけのものとして捉えることができる強さを身につけたいものです。
誰もが自分の物語の主人公ですよね。
十代のころ、少女マンガを読んでいると自分とその主人公を重ね合わせたものでした。主人公の女の子はボーイフレンドと楽しい日々を送っている。そこに別の女の子が現れたことによって、ボーイフレンドの気持ちが揺れ始めてしまう。あの手この手で彼との距離を縮めようとする彼女。ここで、後から出てきた彼女は読者には悪役に映ります。
まさかまさか、自分が悪役の少女の側にまわることがあるなんて思いません。いつだって、正義は自分の側にあるもの。そう信じていたころ。
でも大人になった今、主人公も後から出てきた彼女のどちらも正しかったのだということがわかります。漫画の中では目線が主人公の女の子側から書かれているからこそ、読者はそちらに同情している。後から出てきた彼女は意地悪く描かれているかもしれない。主人公からしてみたら、そう見えてるのかもしれない。でも、悪役に回された側にはまた別な物語があったりする。彼のほうがその子に惹かれてアプローチをしていたのかもしれないですよね。二人の間には抗えない運命のような何かがあったのかもしれない。その漫画の中では悪役だとしても、その少女自身の世界では彼女が主役で、漫画の主人公は悪役。
現実の世界でもこういうことって往々にして起こっていますよね。みんな自分の物語の主人公だから自分が正しいと思いたいし、自分こそが本物なんだと信じたい。でも、本当のところはどうだろう・・・。ただ、たくさんの正しさや本物が存在してるんじゃないかしら。だからこそ、利益がかち合ってしまうこともあるのだろうけれど。
先日、『シャッターアイランド』を観ました。映画の中で、ある登場人物は正義は自分の側にあり、それに対する悪役がいると信じているのですが、立場は何度も入れ替わってしまう。自分が悪役だと思っている人物が実は自分で、また正義の側にいる自分に戻ったりする。
自分にとっての悪役を決めてしまったほうがラクではありますが、それが真実かというのは別の問題です。そして、誰もが自分が主人公の物語に生きているからこそ、その人がどんな選択をしようともそれを責めることはできないと思うのです。その物語のなかでは主人公だけが選択する権利を持っているのですから。