『東北の地質的景観』 第1回 十和田湖 | 奈良の鹿たち

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『東北の地質的景観』 

第1回

十和田湖

 

十和田湖の成り立ち

(1)地理・地形

十和田湖は、青森県十和田湖町と秋田県小坂町にまたがっています。

大量の火砕流を噴出して火山体の中心部が陥没し、水が溜まった二重式陥没カルデラ湖(十和田カルデラと中湖カルデラ)です。

湖を真上から見るとクルミを半分に割った断面図のような形をしていて、南岸の西寄りに中山半島、東寄りに御倉(おぐら)半島が突き出しています。二つの半島が、十和田湖南岸を東から東湖(ひがしのうみ)中湖(なかのうみ)西湖(にしのうみ)の三つに分けていています。

御倉山(溶岩ドーム)のある御倉(おぐら)半島と中山半島の間にある中湖水域が327mで最深部です。日本では第3位の深さです。東湖や西湖水域の水深は50~100mで平均水深は80mです。

最新の噴火は約1千年前の平安時代に起こりました。それ以降は噴火の記録が無いものの、「十和田火山」として防災行政の監視対象になっています。

水域面積は 59.8km 、流域面積は 67km 、湖面標高は海抜400mです。面積では日本の湖沼としては12番目です。十和田湖の北部、西部及び南部は、比高 200~600mの急峻なカルデラ内壁で囲まれていますが、東部は比較的緩傾斜です。 広い平坦地は南東部の宇樽部(うたるべ)、休屋(やすみや)に見られます。

十和田湖からの流出河川は、東岸の子ノ口(ねのくち)から流出する奥入瀬川(おいらせがわ)のみです。奥入瀬川は、北東に約14 kmにわたり奥入瀬渓流が延び、太平洋に向けて流れ出ています。また流入河川は、最大の河川である宇樽部(うたるべ)川、休屋に流入する神田川、銀山川、大川岱(おおかわたい)川、鉛山川などです。南部から西部にかけて鉛沢、大川沢、銀山沢などの小河川があります。

 

(2)地質・火山活動

 約160万年~60万年前以前に先十和田火山の活動が見られます。それから約40万年の活動空白期を挟んで、十和田火山が約20万年前から活動を開始しました。その活動段階は①20万年~5万年前の先カルデラ期、②5万年~1.5万年前のカルデラ形成期、③1.5万年~現在の後カルデラ期に分けられます。

①  先カルデラ期:20万年~5万年前

約20万年前から活動を開始し、度重なる溶岩の流出と爆発的噴火によって先カルデラ成層火山群が形成されました。

②  カルデラの形成期:5万~1万5千年前

約5万年前頃からカルデラ形成期に入り、それまでより規模の大きなプリニー式・マグマ水蒸気噴火を繰り返すようになりました。比較的規模の大きな火砕流噴火は少なくとも3回発生しました。1回目は、4万3千年前の奥瀬噴火(奥瀬火砕流)によって十和田湖から噴出したマグマの量は100億tでした。2回目の3万年前の大不動噴火(大不動火砕流)と3回目の1万5千年前の八戸噴火(八戸火砕流)では、さらに多い500億tがそれぞれ噴出しました。少なくとも3回の火砕流噴火によって陥没が進み、約1万5千年前に、現在の十和田湖の原型である直径約11㎞のほぼ四角形の十和田湖陥没カルデラが形成されました。そこに水が溜まってできたのが十和田湖です。

③  後カルデラ期:1万5千年~現在

後カルデラ期では、約1万5千年~1万1千年前の4000年の間に、カルデラ内南部において断続的な溶岩の流出と爆発的噴火が発生し、火口を拡大していきました。そして、成層火山の五色岩火山(後の中湖カルデラ)が形成されました。現在までの間に少なくとも8回の爆発的噴火が起き、五色岩火山の山頂部に直径3㎞の中湖火口が形成されました。

<上:五色岩火山(後カルデラ成層火山) 下:そのの火口壁 赤色酸化した降下火砕堆積物>

9千500年前の南部噴火の堆積物が、瞰湖台(かんこだい)に露出しています。

6千300年前の中掫(なかせり)噴火では、70億tのマグマが噴出しました。中掫噴火末期に、五色岩火山の北側火口壁の北側の壁が吹き飛んで十和田カルデラの湖水が火口に流入して外湖とつながり、中湖(なかのうみ)が生まれました。元々の十和田カルデラ(湖)の水深は最深でも100mぐらいなので,中湖カルデラの水深320mはマグマ水蒸気爆発によるものと考えられます。

また、後カルデラ期においては、御倉山(おぐらやま)溶岩ドーム(御倉半島)と御門石(みかどいし)溶岩ドームが形成されました。御倉山溶岩ドームは、約7600年前に五色岩火山北東山腹で発生したマグマ水蒸気噴火に引き続いて形成されました。御門石溶岩ドームは、大部分が湖中に没しているため、その形成時期については未詳ですが、12000年前~2800年前の間の時期に形成されたと推定されています。

毛馬内火砕流:平安時代915年

最新の噴火は、915年(延喜15年・平安時代)8月17日に毛馬内(けまない)火砕流の噴火が起こりました。この噴火は過去2000年間、日本国内で起きた最大規模の噴火であったと見られます。噴火はプリニー式噴火(大量の軽石・火山灰を放出する大規模な爆発的噴火)とマグマ水蒸気噴火でした(火山爆発指数はVEI5)。『扶桑略記』には、朝日に輝きがなく月のようだったという記録があります。

この噴火では 50億tのマグマが噴出し、大規模な火砕流が生じ周囲20kmを焼払いました。噴出物(主に火山灰)は東北地方一帯を広く覆い、甚大な被害をもたらしたと推定されます。

 

 

 

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次回は、第2回「象潟海岸」

 

 

(担当 G)

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