『九州の地質的景観』第11回(最終回) 阿蘇山② | 奈良の鹿たち

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『九州の地質的景観』 

第11回(最終回)

<阿蘇山②>

 

 

火山活動史

約600万年前から35万年前の活動が分かっていますが、そのほとんどの活動は約85万年前よりの新しい活動です。

活動の様式から、先カルデラ火山活動期カルデラ形成期後カルデラ火山活動期と3期に分けられます。

 

①先カルデラ火山活動期(カルデラ形成以前)(約30万年以上前)

先カルデラ火山活動期とは、カルデラ形成以前の活動期で先阿蘇火山群が形成された時期です。

先阿蘇火山群の活動期は30万年前以前と考えられ、現在の外輪山などを形成した火山群の比較的小規模の活動がありました。外輪山北西部の鞍岳・ツームシ山、南西部の俵山・冠岳などは、この先阿蘇火山群のひとつです。他にも多数火山はあったようですが、阿蘇カルデラ形成期の爆発・噴火により埋もれてしまったようです。阿蘇カルデラ付近に阿蘇火砕流噴火前に分布していた岩石は、約200万年~40万年前の火山活動によってもたらされたもので、中部九州に広く分布しています。それらは阿蘇カルデラ壁にも露出していますが、これらの岩石は、時代的にも岩石学的に阿蘇火山の岩石と区別され、阿蘇火山以前であることを明確に示すために、「先阿蘇火山岩類」と呼ばれています。

 

②カルデラ形成期(約27万年前から9万年前)

カルデラ形成期とは、カルデラ噴火を繰り返していた時期です。

先阿蘇火山岩類の最後の活動とされる45~40万年前から、約20~10万年間の休止期を挟んで、約27万年前から活動を開始しました。

約27万年前から9万年前までに大規模な噴火が4回ありました。

約27万年前(Aso-1)、約14万年前(Aso-2)、約12万年前(Aso-3)、約9万年前(Aso-4)の4回。

それぞれの噴火の時期には大量の火山灰・軽石が放出されて、はじめは高空に吹き上げられて東方に降り積もり(降下火砕物)、次いで火砕流として四方に流れ広がりました。これらの噴火は現在行われている火山活動の尺度からは想像を絶するものでした。

阿蘇カルデラを生じさせた火砕流は、「阿蘇火砕流」と呼ばれ、その堆積物はカルデラ周辺に広く分布しています。

Aso-1 : 26.6±1.4万年前、噴出量 32 DRE km3

Aso-2 : 14.1±0.5万年前、噴出量 32 DRE km3

Aso-3 : 12.3±0.6万年前、噴出量 96 DRE km3

Aso-4 : 8.64±0.11万年前、見かけ噴出量930~1,860 km3

 

中でも9~8万年前のAso-4は、最も規模が大きくVEIは7(VEI:火山爆発指数 0~8段階)で、ウルトラプリニー式噴火(破局噴火)であったと考えられ、噴出量は約1000 km3を越えていました。阿蘇火山の周囲に広い台地を作り、さらに谷沿いに九州島の東・北・西の海岸に達し、一部は海を越えて天草下島や山口県の秋吉台にまで分布しています。

これらの噴火活動で、地下の大量のマグマが地上に放出されました。その影響で地下に大きな空間ができ、それを埋める陥没が起きて阿蘇地方に大きなカルデラが形成されたと考えられています。カルデラ形成後の約7万年前から以降、カルデラ内に中央火口丘群が形成でき、今現在の大きなカルデラの中心部に阿蘇五岳が並ぶ阿蘇山の姿になりました。

しかし、カルデラが出来たのは、Aso-1直後にカルデラが生じ、その後の大噴火ごとにそれが次第に拡大されたものと思われます。4回の大噴火の間には、より小規模の火山灰・軽石の放出が繰り返されました。

 

阿蘇火砕流

(上図)9万年前の巨大カルデラ噴火による噴出物は384 km3 DRE(見かけ体積600km3、ほぼ富士山の山体全部の大きさ)に達し、火砕流は九州の半分を覆ったと推定されています。特に厚く堆積した地域では火砕流台地となって残っています。この台地は九州中央部に広く分布し、緩やかに波打つ平原を形作っています。

(上図)原尻の滝(大分県豊後大野市)はAso-4溶結凝灰岩が崩落してできたもので、崖面には柱状節理があります。阿蘇山が約9万年前に噴火した際に、谷を埋めた火砕流が冷え固まった後に、川が流れ始めて浸食で形成されました。

 

(上図)Aso-4火砕流は、126㎞離れた山口県宇部市でも堆積していました。瀬戸内海を渡り、海岸から7㎞内陸の標高33mのところまで駆け上ったことになります。この所でさえ厚さ2mになっていて、火砕流の勢いはここに到達してもまだ残っていました。

Aso-4火砕流は、 瀬戸内海を渡って170㎞先の山口市徳地柚木(とくぢゆのき)まで流走(火砕流到達距離の国内最長)

  

(上図)その火山灰は日本海海底、北海道まで達し朝鮮半島でも確認されているました。北海道東部で厚さ10cm以上の堆積物として今も残っています。

 

③後カルデラ火山活動期(中央火口丘群の活動が中心)(約8万年前以降)

後カルデラ火山活動期とは、カルデラ噴火以降の中央火口丘群の活動が中心となった時期です。

約8万年前から活動が始まり、中央火口丘を構成する高岳、中岳、烏帽子岳、杵島岳は、後カルデラ活動期にできた火山ですが、根子岳はAso-4大噴火以前からあったことが分かっています。 現在の中岳の活動は、後カルデラ火山活動期にあたることになります。 なお、阿蘇カルデラは、陥没後は少なくとも2回、湖が形成されたことが分かっており、立野火口瀬の形成により湖が消失、溶岩流による堰き止めなどが繰り返されてきました。

● 8万年前 : Aso-4火砕流噴出直後から始まる時期では、プリニー式噴火、マグマ水蒸気噴火。

● 年代不明 :マグマ水蒸気噴火が特徴で、古阿蘇湖、久木野湖が存在していた時代。

● 5万年前から3万年前 : 降下軽石・スコリア・火山灰・岩片など変化に富んだ噴出物をもたらす噴火で、プリニー式噴火、サブプリニー式噴火、ブルカノ式噴火などの各種の噴火が交互に起きた。

● 3万年から1万5千年前 : 高岳や中岳火山古期山体からサブプリニー式噴火、プリニー式噴火。

● 1万5千年前以降 : 中岳火山古期および新期山体からのブルカノ式噴火で、それ以前の活動と比べると比較的小規模。

 

④有史以降カルデラ火山活動期

阿蘇火山の553年の活動が『筑紫風土記』に記述されています。これは日本の火山活動に関する最も古い記録です。13世紀から19世紀末までには100回以上の活動の記録があり、また1901年から1980年までの80年間に噴石・降灰などがあった年は51年にもなりました。古い時代の活動の内容は明らかでありませんが、少なくも最近数世紀は現在と同様にほぼ継続的に活動していたものと思われます。溶岩の流出を示す記録はありません。歴史記録では、第1,2,3,4火口がそれぞれ北,中,南ノ池とされており、しばしば噴火に伴う溢水の記述があります。現在よりも池の水位が高かったのでしょう。

中岳火口は第1火口から第7火口まで命名されていますが、主なものは北から南に並ぶ第1-4火口です。観測所が開設された1931年当時は第1・2・4火口が噴煙活動をしており、1929年までは第4火口が活発であったとかんがえられます。しかし、1930年以降第4火口、1934年以降は第2火口の活動が衰え、その後現在まで第1火口のみが活動しています。非活動期には火口内に水をたたえ(「湯溜り」という)、周辺から噴気を上げています。1980年以来続いていた湯溜りの状態は1984年末でほとんど乾燥し、1985年1月には5年ぶりに本質火山灰を放出しました。

 

(One Point)

<「阿蘇黄土」と呼ばれる「リモナイト
リモナイトは、沼地や浅い海などの鉄分を多く含む水が、空気に触れて酸化し、沈殿・堆積したもので、褐鉄鉱(または沼鉄鉱)のことをいいます。阿蘇でも、赤水から坊中を中心に大量のリモナイトが堆積しており、地元では「阿蘇黄土」と呼ばれています。阿蘇カルデラ形成後、そこに湖ができ、湖水中にマグマからもたらされた鉄分や様々な有機物が蓄積され、阿蘇黄土が形成されたと考えられます。
このリモナイトは加熱すると、ベンガラ(赤色塗料)ができあがります。このベンガラを塗った装飾古墳の石室や石棺、神社の鳥居の朱塗りなどに使われました。阿蘇黄土は現在も採掘されていて、脱臭作用や殺菌作用があることから、脱硫剤(におい消し)や水質浄化剤として、また鉄分の他ミネラル分を多く含むことから家畜の飼料としてなど、様々な用途に用いられています。

(参考:日本リモナイトHP)

熊本県山鹿市の装飾古墳であるチブサン古墳。阿蘇の「阿蘇黄土」(鉄丹「ベンガラ」)が石室に使われている。

 

 

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『九州の地質的景観』 全11回 完

 

 

(担当 G)

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