『関東の地質的景観』第2回 丹沢山地 | 奈良の鹿たち

奈良の鹿たち

悠々自適のシニアたちです

『関東の地質的景観』

第2回

丹沢山地

 

 

丹沢山地は、神奈川県北西部に広がる山地。東西約40km、南北約20kmに及び、神奈川県の面積の約6分の1を占めます。秩父山地等と合わせて関東山地とも呼ばれます。

 

<丹沢の成り立ち>

 

丹沢は南の太平洋で約1700〜1200万年前に活発だった海底火山として誕生しました。マグマの貫入により岩体が大きく盛り上がり、太平洋に浮かぶ火山島(火山島といっても海上に少し頭を出すくらいの島)となりました。

 

そして、フィリピン海プレートにのって北上して、約600万年前~500万年前に本州に衝突し一体化しました。

フィリピン海プレートは、日本列島が乗っているユーラシアプレートと北米プレートの下にもぐり込んでいきますが、繰り返す噴火で大きな地塊になった丹沢は、もぐり込めずに本州に衝突。

その後、追うように北上してきた丹沢と同様に南洋の火山であった伊豆半島の岩体が、約100〜70万年前にかけて本州と衝突しました。この圧力によって丹沢山地は激しく隆起し、現在のような急峻な山容になったと考えられています。丹沢と伊豆が次々と衝突した痕跡は、逆断層地形として残されています。

フィリピン海プレートは、現在も年に5~6㎝ほど北へ移動しているとされ、つまり丹沢もその圧力を受けて隆起し続けていることになります。

丹沢の各所で見つかる大型有孔虫や貝やサンゴ、オウムガイの化石は、太古の昔に海であったことの証拠です。また、かつて火山島だったことを示す凝灰岩、マグマが冷えて固まったトーナル岩、それらが変成作用を受けてできた変成岩でできています。1000万年前にはこの岩体の中心に上昇してきたマグマが貫入し、少しずつ冷えて固まり、西丹沢山地の多くを構成する石英閃緑岩体などとなりました。

登山道で踏みしめている緑色凝灰岩、火山礫、大理石、花崗岩などからも、丹沢の成り立ちがうかがえます。緑色凝灰岩(グリーンタフ)とは、熱水などにより変質して緑色を帯びたものをいいます。

たとえば、塔ノ岳から最高峰の蛭ヶ岳、西丹沢までを結ぶ主稜線は、約1600万~1300万年前に噴出した火山灰や火山礫が固まった岩石(凝灰岩や凝灰角礫岩)でできています。ヤビツ峠から塔ノ岳へ至る表尾根などは、約1600万~1300 万年前の凝灰岩や溶岩など火山噴出物が堆積したもの(丹沢層群地層)で形成されています。

丹沢山地を作っている地層や岩石は,1500万年前から1000万年前ごろまでは伊豆半島と同様,ほとんどが海洋性火山噴出物からなっていて,大陸地殻の代表である花崗岩類が起源となる破屑物(さいせいぶつ・岩石が壊れてできた破片)はありません。

この川の河原の石はほとんどが薄緑色で,緑簾石と曹長石の影響でこのきれいな薄緑色になっています。

画像左の石は丹沢を代表する岩石である緑色凝灰岩です。海底火山が噴出した火山灰などが固まったもので、白い粒は火山の熱水の作用でできた沸石です。一方画像右の石は緑色片岩です。凝灰岩が圧力を受けて変成し、構成成分が一定方向に並んで薄層が重なったような構造(片理という)になったものです。

 

1500万年前、はるか南方の海底火山の噴火でできた凝灰岩の島(海山)が、フィリピン海プレートに乗って北上し日本列島に衝突しました。これが陸のプレートの下に潜り込む時、一部が列島に付加して、強い圧力で押し付けられ緑色片岩ができました。その後、上昇してきたマグマの作用でさらに変成し、角閃岩になったと考えられます。

丹沢火山島がかつて海底火山であった証拠としては、海底で火山が噴火したときにできる枕状溶岩が見られます。枕状溶岩というのは,海底火山から噴火した(粘性の低い玄武岩質の)溶岩が海水で急冷されて団結しいくつも枕のように積み重なったものです。

丹沢山地の最西端に位置する丹沢湖や山北町の大地はかつての火山島が衝突したり、富士山や箱根火山が噴火したりと、かなりダイナミックな歴史を歩んでいる地域です。

①65万年ほど前に箱根火山が活動を始め、大量の火山灰や軽石を噴出する大きな爆発を何度も繰り返しました。
②10万年ほど前に富士山が誕生し、数百回におよぶ噴火を繰り返しました。特に1707年の宝永噴火は須走で2m、横浜でも10cmも火山灰を降り積もらせる大噴火でした。
細かな火山灰は遠くまで飛びます。また爆発の力が大きいほど大きめの灰(礫)を遠くまで飛ばします。目の前の地層に大きな礫が見えることは、大きな噴火があったことを示しています。

 

=================================

「250万年前の巨大噴火」

250万年前の地球は、寒冷期から温暖期へ移行していた。大陸をおおっていた氷河が溶け、このため海水面は前進、関東は広く海におおわれていた。陸地では、ミエゾウから進化した、アケボノゾウが、日本列島を歩いていた時代だ。

早稲田大と首都大学東京の研究チームは2010年7月30日、約250万年前に神奈川県・丹沢山地で巨大噴火が起きたことが分かったと発表した。

1707年の富士山・宝永噴火に匹敵する大噴火で、当時は海だった関東平野一帯に火山灰が降り積もり、関東平野の土台を形成する厚い地層の一部をつくったという。

チームは、神奈川県愛川町と同県鎌倉市で見つかっていた、ざくろ石(ガーネット)を大量に含む特徴的な火山灰層に着目。この地層の広がりを調べるため、東京都江東区と千葉県銚子市で地層を調べた。

その結果、江東区と銚子市で神奈川県の2カ所の地層とほぼ成分が一致する火山灰層を発見。できた年代は、4カ所いずれも約250万年前であることも判明した。愛川町から銚子市へと東になるほどざくろ石の粒が細かく、細かい火山灰ほど遠くまで飛ぶことから、火山灰は愛川町より西側で噴出して東へ流れたと推定。噴火口の候補地として、ざくろ石の地層が知られている丹沢山地の谷沿いの岩脈を分析したところ、関東4カ所のざくろ石と組成が一致。この地層をつくったのは丹沢山地の大噴火だったと結論付けた。

(毎日新聞 2010年7月31日)

 

 

 

====================

  次回は 第3回「霞ヶ浦」

 

 

(担当P)

====================