『富士山 地質的景観』 第8回(最終回) 富士山周辺④(北部・西部) | 奈良の鹿たち

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『富士山 地質的景観』 

第8回(最終回)

富士山周辺 ④

 

【北部・西部】

 

⑧<鳴沢溶岩樹型(なるさわようがんじゅけい)

平安時代初期の864年(貞観6年)、貞観大噴火で富士山から流れ出した膨大な量の溶岩(青木ヶ原熔岩流)は付近の立木あるいは倒木を巻き込んで森林地帯を呑み込みつつ流れ下り、噴火が収まった後の熔岩地帯には各所に燃え尽きた大木の幹の形を残す空洞が残りました。これを溶岩樹型といいますが、現在、鳴沢には12個の溶岩樹形がみとめらます。鳴沢の熔岩樹型一帯は、青木ヶ原熔岩流が徐々に薄くなり、ついにその姿を失う末端部で、熔岩流の厚さがちょうど樹型を造るに適する程度になった部分にあたります。ほとんどが古井戸のような井形(竪穴)樹型で、一部傾斜または水平(横穴)のものが存在します。最大のものは、直径180cm、深さ4.6mの井形(竪穴)樹型です。中でも第11号樹型は1993年の調査により、樹林帯を流れた溶岩流の水分が蒸気化したことによってガス圧力が高まり爆発を起こした世界的に珍しい溶岩スパイラクル(溶岩水蒸気噴気孔)であることが判明し、しかも完全な形で残っている事が分かりました。

⑨<富岳風穴(ふがくふうけつ)

 

貞観6年(864年)の貞観大噴火で側火山である長尾山の大爆発で流れ出した青木ヶ原溶岩流でできた溶岩洞穴(風穴)です。総延長201m、高さは8.7mの横穴で、壁は玄武岩質。天然の大きな氷柱や、溶岩棚、縄状溶岩、溶岩鍾乳石面などが見られます。

⑩<鳴沢氷穴(なるさわひょうけつ)

今から1150年以上前の貞観6年(864年)富士山の北西山麓の側火山長尾山の噴火(貞観大噴火)の際、古い寄生火山の間を灼熱に焼けた溶岩流(青木ヶ原丸尾)が流れ下ってできたのが、このトンネルになった洞窟です。噴出した膨大な溶岩が徐々に冷え固まる際に、内部の高熱なガス体や冷え切らない溶岩が抜け出すことで形成された空洞。内部は非常に低温で、年間の平均温度は摂氏3度程度です。総延長156m、幅1.5~11m、高さ1~3.6m。地下21mの「木の池」では、氷柱や玄武岩質溶岩群を見ることができます。竪穴環状形の形状になっています。

⑪<本栖湖(もとすこ)の青木ヶ原溶岩(あおきがはらようがん)

 

富士五湖の1つ本栖湖の東岸には、ごつごつとした黒い岩が湖に突き出している場所があります。これは平安時代の貞観噴火(864年)の時に流れ出た大量の溶岩が、本栖湖の東岸に入り込んで冷えて固まったものす。溶岩の表面を見ると、縞模様がたくさんあるのに気付きます。これは溶岩流がまだ熱くて固まっていない時に、内部がお餅のように膨れ上がり、表面が引き伸ばされたためできた縞模様だと考えられています。

貞観噴火がもたらした「青木ヶ原溶岩」は、現在の精進湖登山道1~2合目付近に開いた2列の割れ目火口から2ヶ月以上にわたって流出しました。このうち、北西方向に流れ下った流れが本栖湖の東岸に流れ込んで扇形に広がったのです。

⑳<猪之頭湧水群(いのかしらゆうすいぐん)

  

富士山西麓に位置し、富士山麓の代表的湧水池を形成しています。透水性の大きい新富士溶岩と、透水性の悪い集塊岩質の古富士泥流層との間を地下水が流下しますが、その境界が露出して湧水群を形成しました。

㉑<白糸の滝(しらいとのたき)

滝つぼを取り囲む高さ20mの絶壁から流れ落ちる絹糸のような水のカーテンが、幅200mにもわたって広がっているのが白糸の滝です。
白糸の滝では、川の流れがそのまま落ちている中央部を除いて、大半の水が崖の岩の隙間からわき出しています。崖の地層をよく見ると、崖の下半部は角礫を多く含んだ泥っぽい地層、上の方は玄武岩溶岩であることが分かります。10万年ほど前から噴火を始めた古富士火山は、その後何度か大規模な山体崩壊を起こしました。下半部の地層はその時のもので「古富士泥流」と呼ばれています。水を通しにくいため、地下水はこの地層の上にいったん蓄えられ、下流で湧き出します。古富士泥流堆積物の上に白糸溶岩流が位置し、溶岩流の各層の隙間から富士山の地下水が流れ出ています。雪解けのころや富士山に大雨が降ったときは、滝の吹き出す勢いが急に強くなります。水温は11度で夏でもひんやりとして、涼を求める人で賑わいます。

㉒<湧く玉池(わくたまいけ)

富士山本宮浅間大社本殿の東側にある湧玉池は、富士山の湧水のひとつです。富士山に降った水が溶岩流の隙間を流れ、末端で湧きだして池になりました。1日20万㎥もの豊かな水は池から神田川に流れ込み、市内を流れています。ちなみに、この溶岩流は大宮溶岩(富士宮溶岩)と呼ばれ、今から約1万年前に山頂近くから噴出し、南西に向かって流れてきたものと考えられています。

㉓<星山丘陵(ほしやまきゅうりょう)

富士宮市の南方にある星山丘陵は、富士川河口断層帯に属する活断層のひとつである「大宮断層」の南西側が、断層のズレによって隆起してできた丘陵です。その証拠として、富士宮市街の地下深くにある「古富士泥流」の地層が、星山丘陵では山の上に分布しています。星山丘陵ができたことによって、その後富士山から流れ出した土石流や溶岩流が丘陵を乗り越えられなくなり、星山丘陵の手前の低地を埋めるようになりました。こうして、現在の富士宮市街地のある平らな地形がつくられたのです。

 

 

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『富士山 地質的景観』全8回 完

 

 

(担当G)

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