『富士山 地質的景観』 第1回 古富士火山 | 奈良の鹿たち

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『富士山 地質的景観』 

第1回

<古富士火山>

 

 

<富士山前史>

500万年前の富士山周辺はまだ太平洋の海の底でした。富士山周辺の様子は、北に御坂山地、東に丹沢山地、西に天子・赤石山地が連なっていました。天子山地と赤石山地の間は富士川海峡があり、現在の甲府盆地まで海が入っていました。

当時の駿河湾は,今よりずっと奥が深い湾で,海岸線も今の位置よりずっと北にありました。現在の富士山の地下には,かつての駿河湾の一部が隠されているのです。

富士山の周辺一帯は数百万年前から火山活動が活発であったことが知られています。

このように富士山は海の底から誕生したわけですから近くに山々が無く、単独峰になりえたわけです。河口湖辺りもまた海の底で、その当時の証拠として湖畔の山の斜面に貝の化石が出土します。

<富士山が今の姿になるまで>

①小御岳火山の時代(約70万~10万年前)

富士山は、ユーラシアプレート外縁部で、太平洋プレートとフィリピンプレートと北アメリカプレートの4つのプレート境界に位置しています。そのため、地下から膨大なエネルギーが蓄えられ地上に噴出します。海の底だった富士山周辺は、200~300万年前にプレートの移動とともに隆起してきました。そして徐々にプレート境界付近でエネルギーが蓄積されはじめました。正確には北アメリカプレートとフィリピンプレートの両方がユーラシアプレートに滑り込む分岐点(三重会合点)、なおかつ富士山下で沈み込んでいるフィリピン海プレートのさらに下に太平洋プレートが沈み込んでおり、その太平洋プレートに由来した膨大なマグマが供給されました。プレートのストレスによって富士山らしきものが出現するのは今から70~20万年前です。

約70万年前、現在の富士山のやや北側にまず小御岳(こみたけ)火山が誕生しました。次いで南東にある愛鷹山(あしたかやま)や箱根山などの火山も噴火し、大量の噴出物が地表に積もりました。現在の富士山火口の位置とは違う場所に2つの火山が誕生したことになります。噴火後の小御岳火山は標高2500m前後、愛鷹火山は標高1500m前後にまで成長しました。

下図のように70~20万年前の富士山の様子は、東に東小御岳川、西に西小御岳川がありました。この両方の川がやがて噴火によって堰き止められ、富士五湖・忍野八海へと変化していきました。また富士川海峡だった場所も隆起していき、甲府盆地、糸魚川・静岡地質構造線(フォッサマグマ)を形成しました。

②古富士火山の時代(約10万~1.5万年前)

10万年ほど前になると、愛鷹山と小御岳山が火山活動を停止し、代わりに小御岳火山の南の中腹で新しい火山古富士火山が活動を開始します。現在、愛鷹山は古富士火山の南東にありますが、小御岳山は今では存在しません。その名残は富士山の北麓にあるスバルラインの5合目付近(標高2300m)に露頭しています。

古富士火山は爆発的な噴火が特徴で、大量のスコリア・火山灰や溶岩を噴出し、8万年前頃~1万5千年前頃まで噴火を続け、噴出した火山灰が降り積もることで小御岳の大部分と愛鷹山の北半分を埋めつくし、標高3000m弱まで成長しました。ただ、ある程度大きくなると、山頂付近から大きく崩れる「山体崩壊」を何度も繰り返すようになりました。「山体崩壊」では岩屑(がんせつ)なだれという巨大な岩石のブロックや細かく粉砕された岩石が一体となって、斜面を高速で駆け下る現象が発生します。「山体崩壊」は噴火が引き金になることもありますが、近くで大きな地震が起こっても発生することがあります。また、このころは氷河期の最中(ウルム氷河期)でしたから、古富士火山の山頂から山腹にかけては一年中雪や氷に覆われていました。そのような状況では噴火によって雪や氷が解かされるので、噴火のたびに大量の土石流や泥流が発生し、古富士火山のすそ野を広げていったのです。「山体崩壊」による岩屑雪崩や土石流の堆積によって造られた緩やかな斜面を、今の富士山特有の粘り気の低い玄武岩の薄い溶岩流が覆い、美しいすそ野が形成されていきました。富士山の溶岩はシリカ含有率が50~51%で、これは流動性がちょうど良く、円錐火山(コニーデ式)を形成するのに適しているのです。その溶岩流と火山灰(火山弾)は愛鷹火山と小御岳火山の土台に積み重ねられて古富士火山は高度を得ていきました。

富士山が高くなったのはこういった理由によるのです。

くりかえしの活発な噴火の火山灰は関東地方に降り積もり、褐色の細かい砂質の関東ローム層(赤土)となりました。

その後、古富士火山は活動を停止し、植生も進み古富士火山の表面に腐葉土を育んでいきました。古富士火山の山体は宝永山周辺等富士山中腹にかなり認められます。

また、北斜面5合目(標高2300m)北側斜面の小御岳神社付近に小御岳火山の一部が頭をのぞかせています。山中湖から眺める富士山には、両脇に出っ張りが見えます。このうち東側(右側)の出っ張りが小御岳山です。西側(左側)の出っ張りは、約300年前の宝永噴火の時に出来た宝永山です。

富士山周辺の調査では、古富士火山の時代には火山泥流が頻発したことが判明しています。

北東麓側で富士相模川泥流(1万7千年前~1万4千年前)などの火山泥流が複数回発生した。当時は氷期で、最も寒冷化した時期には富士山における雪線(夏季にも雪が消えない地帯の境界)は標高2500m付近にあり、それより高所には万年雪または氷河があったと推定され、山頂周辺の噴火による火山噴出物が雪や氷を溶かし大量の泥流を生じる融雪型火山泥流を発生させたと推定されています。

下図のように古富士火山の北側には現在の河口湖・西湖・精進湖・本栖湖が一緒になった「古せの湖(うみ)」という湖が横たわり、東には現在の山中湖と忍野が一緒になった「宇津湖(うつこ)」が横たわっていました。 

 

 

 

 

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  次回は 第2回「新富士火山」

 

 

(担当G)

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