『全国の焼き物』第22回 波佐見焼 | 奈良の鹿たち

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『全国の焼き物』

第22回

波佐見焼(はさみやき)

 

 

 

波佐見焼は長崎県の中央北部の東彼杵郡波佐見町付近でつくられる陶磁器。400年以上の歴史を持ち、現在でも日用食器は丈夫さが評判で、1990年代前半には、全国の生活雑器のシェアの25%~33%を占めたこともあり、現在ではおよそ16%のシェアを誇る。長らく「有田焼」として売られてきた歴史を持ち、近年までその名前が表に出ることは少なかった。というのも波佐見町は、有田焼が生産される佐賀県有田町と隣り合う県境の町だからです。

波佐見は、江戸時代から大衆向けの食器を巨大な連房式登窯で多量に焼いてきました。

 

(特徴)

波佐見焼の特徴は、白磁の美しさと、呉須(藍色)で絵付けされた繊細な染付の技術。時代に合わせて改良を続けながら、庶民の器としてさまざまな日用食器が誕生しました。いまも長崎県最大の窯業地であり、日用和食器の出荷額は全国3位を誇ります。

日用食器の一つ唐草模様を筆で簡単に描いた「くらわんか碗」は丈夫で壊れにくく、波佐見焼の代表作となりました。波佐見焼の食器を通して庶民の食文化は大きく変わり、焼き物が暮らしに身近なものになっていったともいわれます。

人口約1万5000人の小さな町で高品質、大量生産を可能にしたのが「分業制」。

陶磁器の石膏型を作る「型屋」、その型から生地を作る「生地屋」、生地屋に土を収める「陶土屋」、その生地を焼いて商品に仕上げる「窯元」、陶磁器に貼る絵柄のシールを作る「上絵屋」、注文をまとめ、配送などを手配する産地問屋などを経てひとつの製品が世に出されました。

 

(歴史)

大村藩主の大村喜前が1592年から1598年にかけての文禄・慶長の役から帰国するとき、朝鮮陶工の李祐慶らを連れて来て、慶長3年(1598年)に村内に連房式階段状登窯を築いたのが始まりとされます。当初は釉薬を施した陶器を焼いていたが、波佐見町東南部にある三股 (みつのまた)で陶石が発見され、1630年代になると本格的に陶器生産から磁器生産が中心となりました。

その後、天草の石が白磁原料に向いていることが判明し、町内全土で磁器生産を行うようになりました。大衆向けの陶磁器を大量生産してきました。

17世紀半ばには、中国で起きた内乱の影響で、中国産の焼き物の輸出が中断。その代わりとして波佐見焼を含む肥前の焼き物に白羽の矢が立ち、東南アジアを中心に輸出され、波佐見焼の窯の数も職人の数も一気に増えていきました。

1690年ごろに中国の内乱が収まると、海外輸出量は減少。そこから、国内向けの日用食器を量産していくようになりました。

江戸時代の中ごろには、巨大な登り窯がいくつも築かれ、波佐見焼は庶民のための磁器として日本中に普及。かつて波佐見焼を大量に生み出した大新登窯跡は、全長が約170m、窯室が39室と世界最大の登り窯であることが分かりました。また、中尾上登窯は窯の長さは160mにも達し窯室は33室で、大新登窯に次ぐ大きさです。中尾皿山は慶長年代永田山へ足を踏み入れた李祐慶がこの地を開いたとも言われ、元和元年〈1615年)中尾庄右衛門に磁器の作り方を指導し、中尾皿山の発展につながったと言われます。

(中尾上登窯跡)

はじめは施釉陶器の生産が中心だったが村内で磁器の原料である陶石が採掘されるようになり、しだいに染付と青磁を中心とする磁器へ移行。ついには大村藩の特産品となり、江戸後期には染付の生産量が日本一に。こうして波佐見焼は、染付・青 磁ともに大生産地に発展していきました。明治以降は鉄道の発達により、出荷駅がある有田から全国に流通していたため、波佐見と有田、2つの産地の磁器は合わせて「有田焼」としてその名を全国に広めていきました。

古伊万里様式 波佐見焼)

こうして2つの産地は売上を増やし続け、1980年後半のバブル期に最盛を迎えることになるが、2000年頃に問題となった産地偽装問題をきっかけに、「波佐見焼」と厳密な生産地表記が必要となりました。

 

くらわんか碗

江戸時代に生産された、簡単な草花文などの絵付を施した磁器。それまで磁器は赤絵染付など高価なイメージが強く、庶民にとって高価であったが、くらわんか碗は庶民に普及しました。

(くらわんか茶碗)

コンプラ瓶

1790年に初めて作られ、1820年代から盛んに生産されるようになりました、酒や醤油の輸出用の瓶。当初、木の樽だと風味が保てないため、出荷量の増加に対応するため、簡素な染付白磁を用いた徳利型の瓶を作りました。

名称はポルトガル語で仲買人を意味する「コンプラドール(comprador)」に由来します。

(コンプラ瓶)

給食用強化磁器食器

主に給食事業に使用される強化磁器。1987年に町内小中学校の給食用食器として開発されました。

(波佐見焼 給食用食器)

 

 

 

 

 

 

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次回は 第23回「備前焼」

 

 

(担当 A)

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