『古墳』第1回 前方後円墳 | 奈良の鹿たち

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『古墳』

第1回 

「前方後円墳」

(ぜんぽうこうえんふん)

 

 

 

古墳時代を象徴する墳形。近畿を中心に各地に広がる。
死者を葬る部分を円形につくり、その前方部に方形の突き出しを形成。

前方部は三味線の撥型(ばちがた)をしている。

3世紀中頃から7世紀初頭頃にかけて築造され、北は岩手県 角塚古墳(つのづかこふん)から南は鹿児島県 塚崎古墳群(つかざきこふんぐん)まで約5,000基が認められます。

3世紀中ごろ、奈良県桜井市に最古の前方後円墳とされる箸墓古墳(はしはかこふん)が築造され、これをもって古墳時代の始まりとされています。その後日本各地に同じ形の墳墓が築造されていきました。形の由来としては、円と方形(三角形)が結合したものという説や、神仙思想から壺形を模倣したというような学説も生まれました。現在の研究では、後円部が埋葬のための墳丘で主丘であり、前方部は長方形・方形・台形など異なる方形となりました。その前方部は、死者を祀る祭壇として発生・発達とする説や葬列が後円部に至る墓道であったとする説があり、次第に独特の形態を成したと考えられています。

また、各地の弥生時代後期の墳丘墓の特徴を取り揃えています。形は吉備の楯築墳丘墓(たてつきふんきゅうぼ)、敷石は出雲の四隅突出墳(よすみとっしゅつふん)、埋葬様式は北部九州の墳丘墓 平原古墳群(ひらばるこふんぐん)から取り入れたものとみられます。

 

 

大仙陵古墳(だいせんりょうこふん)(仁徳天皇陵)(大阪府堺市) 

日本で最大の古墳 

最大長840m、墳長486m、後円部高さ39.8m、三段築成

5世紀前~中期の築造(仁徳天皇は399年に亡くなっているので50年の差があるので、現在では仁徳陵ではないとされている。またその実在・在位が不明瞭なため議論が尽きない)

箸墓古墳(はしはかこふん)(奈良県桜井市) 

日本で最古の大型前方後円墳

墳長278m、後円部径150m、後円部高さ30m、四段築成

3世紀中~後期の築造 この古墳以降に前方後円墳が全国に広がる。

いわゆる卑弥呼の墓ではないかと言われている。『魏志倭人伝』には、卑弥呼は248年に亡くなったとされているのでピッタリ。

しかし、築造には歳月がかかっているはずなので、卑弥呼の後の壹与(とよ)の墓だという説もある。

角塚古墳(つのづかこふん)(岩手県奥州市胆沢) 

日本最北端の前方後円墳。

墳丘長: 43~45m 二段築成。

5世紀末から6世紀初の築造。

女狭穂塚古墳(めさほづかこふん)(宮崎県西都市) 

西都原古墳群に属す。

九州で最大の前方後円墳

墳丘長は176m 三段築成。

5世紀前半(古墳時代中期)頃の築造。

男狭穂塚古墳(帆立貝形古墳)と隣接する。

 

 

   

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次回は 第2回「前方後方墳」

 

  

(担当 H)

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