『おくのほそ道』
第50回(最終回)「大垣」
(おおがき)
(旅のむすびの地 大垣)
(大垣 元禄二年八月二十~九月六日)
<第50回「大垣」>(最終回)(原文)
露通も此の港まで 出迎えて、美濃の国へと伴う。
駒に助けられて 大垣の庄に入れば、曾良も伊勢より来たり合い、越人も馬を飛ばせて、如行が家に入り集まる。
前川子・荊口父子、その外親しき人々 日夜 訪いて、蘇生の者に会うが如く、且つ悦び、且つ労わる。
旅の物憂さも いまだ止まざるに、長月六日になれば 伊勢の遷宮 拝まんと、また舟に乗りて、
蛤の ふたみにわかれ 行く秋ぞ
(大垣 蕪村筆「奥の細道図巻」)
(現代語)
露通も(敦賀の)港まで出迎えに来てくれて、美濃の国へと同行してくれた。馬の背に乗せられて、大垣の庄に入れば、曾良は伊勢より来、越人も馬を飛ばせて、如行の家に集まっていた。前川、荊口父子、その他親しい人々が日夜見舞ってくれて、まるで生き返った人に再会するかのように、喜んだり、労わってくれた。旅の疲れはまだ残っているものの、九月六日、伊勢神宮遷宮に参ろうと、ふたたび舟に乗って、
「蛤のふたみにわかれ行秋ぞ」
(語句)
●「露通(ろつう)」:蕉門俳人で、路通とも。斎部伊紀。
●「此の港」:芭蕉はまだ敦賀の港にいる。
●「美濃の国」:今の岐阜県南部。福井の敦賀からだと、滋賀の琵琶湖近くを通り、関が原辺り
から岐阜となって、目的地の大垣はその先になる。
●「駒に助けられ」:馬に乗って、ということ。
●「大垣の庄」:岐阜県大垣市。古来から栄えた中仙道の宿場町。門弟 如行(じょこう)の家があ
った。
●「曾良も伊勢より来たり」:芭蕉は八月二十日頃に大垣入りしているが、曾良は旅日記による
と九月二日に伊勢・長島を発って、翌三日に大垣に着いているから、ここではかなりの日数を
飛ばしていることになる。
●「越人(えつじん)」:越智 越人。名古屋の商人で、尾張蕉門の重鎮。蕉門十哲の一人でもあ
る。
●「如行(じょこう)」:近藤氏。元、大垣藩士。蕉門の俳人で、この人の家に集っている。
●「前川子(ぜんせんし)」:津田氏。「子」は藩の重職に対する敬称。大垣藩詰め頭。蕉門の俳
人。
●「荊口(けいこう)」:宮崎太左衛門。大垣藩御広間番。蕉門の俳人。三子があり、いずれも蕉
門俳人。
●「その外 親しき人々」:大垣蕉門の、木因、残香、左柳、怒風といった人たち。
●「蘇生の者」:蘇(よみがえ)った人、生き返った人のこと。人々が、芭蕉の到着を死んだ人が
生き返ったかのごとくに喜び 労ったというのである。
●「長月六日」:九月六日で、現在の10月18日。この日、午前8時頃船で出発。木因、馳走 、
越人は船迄見送り、如行は三里送り。餞別あり。午後4時頃三重県長島町杉江に到着。長禅寺
に投宿。ここに3泊後、伊勢へ。
●「伊勢の遷宮」:伊勢神宮で二十一年目ごとに行われる式年遷宮のこと。元禄二年がその年に
あたり、内宮が九月十日、外宮が十三日に行われた。芭蕉は内宮の式には間に合わず、外宮の
式を拝した。
●「蛤のふたみにわかれ」:蛤は伊勢の名産であり、蛤の「蓋」と「身」が分かれると、伊勢の
名勝・二見が浦の「ふたみ」を掛けている。
(俳句)
「蛤の ふたみにわかれ 行く秋ぞ」
蛤の蓋と身ではないが、送る人と行く人とが分かれていく。折から秋も深くなってき
た。
(写真)
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『おくのほそ道』 全50回 完
(担当H)
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