『おくのほそ道』 第44回 全昌寺 | 奈良の鹿たち

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『おくのほそ道』

  第44回「全昌寺」

(ぜんしょうじ)

 

(芭蕉が泊まった全昌寺)

(大聖持 元禄二年八月七日)

 

<第44回「全昌寺(ぜんしょうじ)」>(原文)

大聖持(だいしょうじ)の城外、全昌寺(ぜんしょうじ)と云う寺に泊る。(なお) 加賀の地なり。

曾良も前の夜 此の寺に泊りて、

  終宵(よもすがら) 秋風聞くや 裏の山  (曾良)

と残す。一夜(いちや)(へだ)て、千里に同じ。

(われ)も秋風を聞きて 衆寮(しゅうりょう)()せば、(あけぼの)の空近う、読経(どきょう)の声澄むままに、鐘板(しょうばん)鳴りて食堂(じきどう)に入る。
今日は越前の国へと、心 早卒(そうそつ)にして 堂下(どうか)に下るを、若き僧ども 紙硯(かみ・すずり)をかかえ、
(きざはし)の下まで追い来たる。

折節(おりふし) 庭中(ていちゅう)の柳散れば、

  庭掃きて (いで)ばや寺に 散る柳

とりあえぬ(さま)して、草鞋(わらじ)ながら書き捨つ。

 

(全昌寺 蕪村筆「奥の細道図巻」)

(現代語)

大聖寺の城外に全昌寺という寺に宿泊する。まだ、ここは加賀の地である。曾良も前夜はここに泊まっており、

  「終宵 秋風聞くや うらの山」

と一句残していた。まことに蘇東坡の詩「咫尺相見ざれば、実に千里に同じ」にあるように、一夜の隔たりは千里の距離のようだ。私も秋風を聞きながら、寺の宿寮に寝ていると、夜明け近くに澄んだ読経の声を聞いていると、やがて(食事の知らせの)鐘板が鳴ったので食堂に入った。

今日は越前の国へ行くのだとあわただしく堂下に降りると、若い僧たちが紙や硯をもって、階段の下まで追ってきた。折から庭の柳の葉の散っているので、

  「庭掃て 出ばや寺に 散柳」

とっさの即興吟として、草鞋を履いたまま走り書きした。

 

(語句)

●「大聖持」:現在の加賀市大聖寺町で、当時は城下町。
●「全昌寺」:曹洞宗の寺。 
●「猶(なお)加賀の地なり」:全昌寺は加賀(石川)の西、越前(福井)との境近くにある。

●「終宵秋風聞やうらの山」:一人で泊まった寺の裏山の秋風はさみしく、心の中まで沁み通っ

 てくるようだ。

●「衆寮(しゅりょう)」:禅寺で修行する衆僧の宿舎。
●「鐘板(しょうばん)」:禅寺で食事の時間を知らせる時に打つ板。

●「心早卒にして」:心せく気持ち。

●「紙硯(しけん)」:紙と硯(すずり)

●「折節庭中の柳散れば」:丁度そのとき、寺の庭の柳の木の葉が落ちたので。

●「庭掃きて」:禅寺に一泊した者は、寝所や庭を掃除してから寺を出るのが礼儀とされてい

 た。
●「とりあえぬ様(さま)して」:既に草鞋を履いて出ようとしていたので、何の準備もなく即興

 で書いた一句。

 

(俳句)

 「終宵 秋風聞くや 裏の山」   (曾良)

   一人となった寂しい終夜、寺の裏山に吹く秋風の音を聞いて夜を明かしました。

 「庭掃きて 出ばや寺に 散る柳」   

   庭を掃いて、この寺を出ようとしたときに、掃いた後に柳が散っている。

 

 

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次回は第45回「汐超しの松」

 

 

(担当H)

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