『北前船』
第1回
「北前船」とは?
北前船とは、江戸時代中期から明治中期の約150年の間、上方(関西)と蝦夷(北海道)片道2,000kmを行き来した商船です。商船とはいっても、150トンほどの木造船で帆が1本のみでした。風まかせ潮まかせで「戸板一枚下は地獄」といわれ、海難事故が絶えませんでした。
それでも1航海千両(1億円)ほどの巨万の儲けがあったため隆盛を極めました。
しかし、売買の損失や難破のリスクはすべて個人船主にかかってくるため、あっという間に没落の憂き目に会うハイリスク・ハイリターンの商売でした
北海道のニシン・昆布・鮭と関西の米・着物・塩・酒などは、お互いに全く無いもの同士なので稀少価値は高く、大いに商売になりました。
また途中の寄港地でも商品価格をにらんで売買をしました。
幕末期は上方では物価が高騰したため、地方との価格差はさらに大きくなりました。
日本海側の途中の港町は、北前船の交易で栄え、経済・農業・文化の流れを盛んにしました。
農業では鰊肥料が、瀬戸内の藍や菜種、紀州のみかん・河内の綿栽培に重宝がられました。
文化面では昆布が金沢・大坂で珍重され、祭りや民謡が地方に伝播していきました。
現在でも日本海沿岸各地を巡ると、当時の繁栄ぶりをうかがい知ることができます。
地方の衰退が著しい今日からは、想像できないほどの地方色に彩られた活気がありました。
また、北海道の開拓のための様々な道具、人口増に伴う食糧や生活物資の運搬は北前船がすべて担っていました。北前船は北海道開拓にも大きな役割を果たしたのでした。
北前船は近世~近代初期に、日本列島全体に経済・社会・文化を育んだことで重要な位置付けをされるべき事柄です。参勤交代は上層階級の地域交流をもたらしましたが、北前船は庶民の生活にまで影響を及ぼしました。
●下り荷(上方から蝦夷) 米・塩・酒・衣類・生活用具・鉄製品など
●上り荷(蝦夷から上方) 昆布・鰊・鮭など
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(担当 H)
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