「光る君へ」、今回もまだ984年でしたね
第二回から第五回まで、ずっと984年です
長いですねー
今回のテーマは「告白」でした
初回で、まひろのお母さんが道長のお兄さんミチカネに殺されたのは、(史実ではない)ドラマの「設定」でしたが、
今回は、まひろが道長にこのことを「告白」するという回でした
そもそも、道兼の事件がドラマの「設定」なので(賛否両論渦巻きましたね)、
それを告白したところで、歴史的な説得力はないわけですが、
これはこれで、グッとくるシーンでした(説得されてんじゃん)
・仮定法過去完了による「まひろ」の自責と道兼の他責
いきなり、ドラマの最後の方のシーンですが、
英文法でいうならば「仮定法過去完了」の世界でした
(と思っただけで、モチロン英語なんて関係ないですが…)
つまり、「もし(過去のあの時)~だったら、(今頃)~だったろうに」という世界です
この表現、まひろと、彼女の憎悪の対象である道兼の2人が使っていますが、
2人の使い方が、根本的に異なる
まひろの場合、3回使われるこの表現のうち、はじめの2回は「私」が主語
母親の死を自分のせいとしてとらえているのです
まひろ「あの日 私が 三郎に会いたいって思わなければ…」
「あの時 私が走りださなければ…」
「道兼が 馬から落ちなければ…」
「母は…殺されなかったの」
「だから 母上が死んだのは 私のせいなの…」
お母さんが亡くなったことについて、道兼を責めるより前に自分自身を責めている
フィクションとはいえ、母の無念と残された娘のくやしさが伝わった気がしました
これに対して、道兼は、他責の男
道長にどつかれながら、主語を「お前(道長)」「あの女(まひろのお母さん)」として、自分は悪くないと自己弁護しているのが、憎たらしい
道兼「お前が 俺を いらだたせなかったら あのようなことは起こらなかった」
「あの女が死んだのも お前のせいだ」
そして、腹立たしいのは、兼家
激怒する道長を見て自分の家の将来が安泰であると笑う(嫌いになりそう)
兼家(悪い顔してるわ)「道長に このような熱き心があったことは知らなんだ」
「これなら 我が一族の行く末は 安泰じゃ」
「ハハハハハハハ…」
なーんて、腹立ててる時点で
脚本の勝利でしょ
・「帰るのかよ」(by 直秀)
それから、もう一つ、まひろが道長に、道兼の事件を告白したシーンのあと、「謎の男」直秀のセリフに吹いてしまった
「六条」の廃屋みたいなところに、まひろが道長を呼び出して、上に書いた「告白」をした
泣きじゃくるまひろを道長が慰めている
2人が会う手引きをした直秀は、気を使って退散しようとすると、
道長がまひろを送ってくれと頼む
その時の直秀のセリフ
「帰るのかよ」
この短い一言、面白かったですね
私は、この短いセリフで
↓これを思い出してしまった
(拾い画です)
そう、キムタクの「ちょ待てよ」
(くだらなくてすみません)
それにしても、満月で多少明るいとはいえ、夜一人で外出して帰ってこない娘ってどうなんですか?
お父さん、娘に遠慮してるのか?
もっと怒らなきゃ!(母目線)
・「道長フォント」がほしい
話の順があちこちになりますが、
道長の書体がまた出ましたね
うにゃうにゃと手紙を書いている
手紙の宛先は、まひろ
短歌じゃないのね
まひろの手に無事届いた
この書体、道長の実際の字を真似ていると、何かの番組で聞きました
そういえば、前々回にも道長の字体が出てきましたよね
では、実際の道長自筆の字体を『御堂関白記』で見てみます
『御堂関白記』(京都国立博物館120周年記念渡航別展覧会『国宝』より)
寛弘4年(1007)8月1日~8日(上段)、8日~16日(下段)
果たして上手なんですか?
一部、拡大してみると
2日に金峯山に出立してますね↓
なんだか、自由に書いてる印象です
『御堂関白記』には、自筆本(陽明文庫)が現存します
また、古写本も現存しますが、これは道長の孫師実の時に書写されたとされます
自筆本は道長が「具注暦」という暦に道長が書き込む形で記されています
(日付の付いた日記帳を買ってきて、そこに自分で書き込む感じ)
「具注暦」は、陰陽寮が日付・干支・二十四節気などを書き込んだ暦です
用事がたくさんあった日は、いっぱい書き込みがしてあるし、
何もなかった日は、スカスカだったりしてとても面白い
また、消しゴムの類がなかったので、上から線を引いて消しているところもあり、そこも面白い(光明皇后もそんな感じの自筆記録を残してましたよね)
日記は、長保2年(1000)6月から長保5年(1003)までが欠けているそうで、その理由として、中関白家の没落を書くのを避けた説、道長の病気説などいろいろな説があるようですよ
で、私が思ったのは、道長のこの字体を「道長フォント」として、ワードに入れてほしいということです
最近のワードで標準装備されている游明朝は、個人的にはなんだか使いにくく、
MS明朝体に変えて使っていますが、「道長フォント」で一回くらい書いてみたい
(あ、でも、かな文字はないのか!)
・四条万里小路、高辻富小路に行ってみた
ところで、前回までのドラマのなかで、
散楽の舞台となった四条万里小路(まひろと道長が出会ったところ)と、
小遊三絵師のお店(まひろのバイト先)として描かれていた高辻富小路ですが、
今どうなっているか確かめたくて、買い物ついでに通ってみました
四条万里小路の辻
まひろが寄り道をしてわざわざ行った四条万里小路ですが
現在、万里小路という名前の通りは、「柳馬場通(やなぎのばんばどおり)」となっているようです
↓「四条柳馬場郵便局」
四条通と柳馬場通の交差点から西方向
東方向(鳥居見えないわ)
ここで平安時代には散楽が開かれたわけです(ドラマの設定)
もう一つ、
高辻富小路(絵師のいたところ)
現在の高辻通と富小路の交差点
地味な場所でした