「光る君へ」第五回ー自責のまひろ、他責の道兼 | 奈良大好き主婦日記☕

奈良大好き主婦日記☕

鎌倉在住
奈良や仏像が好きで子育て終了と共に学び直し大学院博士課程修了、研究員になりました。
テーマは平安後期仏教美術。

明日香村、山の辺の道等万葉集の故地が好きです。
ライブドアにも書いていました(はなこの仏像大好きブログ)http://naranouchi.blog.jp

 

「光る君へ」、今回もまだ984年でしたね

第二回から第五回まで、ずっと984年です

長いですねー

 

今回のテーマは「告白」でした

初回で、まひろのお母さんが道長のお兄さんミチカネに殺されたのは、(史実ではない)ドラマの「設定」でしたが、

今回は、まひろが道長にこのことを「告白」するという回でした

 

そもそも、道兼の事件がドラマの「設定」なので(賛否両論渦巻きましたね)、

それを告白したところで、歴史的な説得力はないわけですが、

これはこれで、グッとくるシーンでした(説得されてんじゃん)

 

 

・仮定法過去完了による「まひろ」の自責と道兼の他責

いきなり、ドラマの最後の方のシーンですが、

英文法でいうならば「仮定法過去完了」の世界でした

(と思っただけで、モチロン英語なんて関係ないですが…)

つまり、「もし(過去のあの時)~だったら、(今頃)~だったろうに」という世界です

 

この表現、まひろと、彼女の憎悪の対象である道兼の2人が使っていますが、

2人の使い方が、根本的に異なる

 

まひろの場合、3回使われるこの表現のうち、はじめの2回は「私」が主語

母親の死を自分のせいとしてとらえているのです

 

まひろ「あの日 私が 三郎に会いたいって思わなければ…」

 

「あの時 私が走りださなければ…」

 

「道兼が 馬から落ちなければ…」

 

「母は…殺されなかったの」

 

「だから 母上が死んだのは 私のせいなの…」

 

 

お母さんが亡くなったことについて、道兼を責めるより前に自分自身を責めている

 

フィクションとはいえ、母の無念と残された娘のくやしさが伝わった気がしました

 

 

これに対して、道兼は、他責の男ムキー

道長にどつかれながら、主語を「お前(道長)」「あの女(まひろのお母さん)」として、自分は悪くないと自己弁護しているのが、憎たらしい

 

道兼「お前が 俺を いらだたせなかったら あのようなことは起こらなかった」

 

「あの女が死んだのも お前のせいだ」

 

 

 

そして、腹立たしいのは、兼家

激怒する道長を見て自分の家の将来が安泰であると笑う(嫌いになりそう)

 

兼家(悪い顔してるわ)「道長に このような熱き心があったことは知らなんだ」

 

「これなら 我が一族の行く末は 安泰じゃ」

 

「ハハハハハハハ…」

 

なーんて、腹立ててる時点で

脚本の勝利でしょ

 

 

・「帰るのかよ」(by 直秀)

それから、もう一つ、まひろが道長に、道兼の事件を告白したシーンのあと、「謎の男」直秀のセリフに吹いてしまった

 

「六条」の廃屋みたいなところに、まひろが道長を呼び出して、上に書いた「告白」をした

泣きじゃくるまひろを道長が慰めている

 

2人が会う手引きをした直秀は、気を使って退散しようとすると、

道長がまひろを送ってくれと頼む

 

その時の直秀のセリフ

「帰るのかよ」

この短い一言、面白かったですね

私は、この短いセリフで

↓これを思い出してしまった

(拾い画です)

そう、キムタクの「ちょ待てよ」

(くだらなくてすみません)

 

それにしても、満月で多少明るいとはいえ、夜一人で外出して帰ってこない娘ってどうなんですか?

 

お父さん、娘に遠慮してるのか?

もっと怒らなきゃ!(母目線)

 

 

 

 

・「道長フォント」がほしい

話の順があちこちになりますが、

道長の書体がまた出ましたね

 

うにゃうにゃと手紙を書いている

手紙の宛先は、まひろ

短歌じゃないのね

 

まひろの手に無事届いた

 

この書体、道長の実際の字を真似ていると、何かの番組で聞きました

 

そういえば、前々回にも道長の字体が出てきましたよね

image

 

 

 

では、実際の道長自筆の字体を『御堂関白記』で見てみます

 

『御堂関白記』(京都国立博物館120周年記念渡航別展覧会『国宝』より)

寛弘4年(1007)8月1日~8日(上段)、8日~16日(下段)

 

果たして上手なんですか?

 

一部、拡大してみると

2日に金峯山に出立してますね↓

なんだか、自由に書いてる印象です

 

 

『御堂関白記』の始まりは、内覧になった長徳4年(998)なので、大河ドラマで出てくるとしても、まだまだ先のことになりそうです(もっと出世しないと…)

 

『御堂関白記』には、自筆本(陽明文庫)が現存します

また、古写本も現存しますが、これは道長の孫師実の時に書写されたとされます

 

自筆本は道長が「具注暦」という暦に道長が書き込む形で記されています

(日付の付いた日記帳を買ってきて、そこに自分で書き込む感じ)

「具注暦」は、陰陽寮が日付・干支・二十四節気などを書き込んだ暦です

 

用事がたくさんあった日は、いっぱい書き込みがしてあるし、

何もなかった日は、スカスカだったりしてとても面白い

 

また、消しゴムの類がなかったので、上から線を引いて消しているところもあり、そこも面白い(光明皇后もそんな感じの自筆記録を残してましたよね)

 

日記は、長保2年(1000)6月から長保5年(1003)までが欠けているそうで、その理由として、中関白家の没落を書くのを避けた説、道長の病気説などいろいろな説があるようですよ

 

 

で、私が思ったのは、道長のこの字体を「道長フォント」として、ワードに入れてほしいということです

最近のワードで標準装備されている游明朝は、個人的にはなんだか使いにくく、

MS明朝体に変えて使っていますが、「道長フォント」で一回くらい書いてみたい

(あ、でも、かな文字はないのか!)

 

 

・四条万里小路、高辻富小路に行ってみた

ところで、前回までのドラマのなかで、

散楽の舞台となった四条万里小路(まひろと道長が出会ったところ)と、

小遊三絵師のお店(まひろのバイト先)として描かれていた高辻富小路ですが、

今どうなっているか確かめたくて、買い物ついでに通ってみました

 

四条万里小路の辻

image

 

まひろが寄り道をしてわざわざ行った四条万里小路ですが

 

現在、万里小路という名前の通りは、「柳馬場通(やなぎのばんばどおり)」となっているようです

「四条柳馬場郵便局」

 

「辻」というのは、交差点のことなので、
「四条万里小路の辻」とは、四条通と柳馬場通の交差点ということになるかと思います
↓左下に「柳馬場通」の名称、奥のビルは「四条ビル」なので、ここです

 

四条通と柳馬場通の交差点から西方向

 

東方向(鳥居見えないわ)

ここで平安時代には散楽が開かれたわけです(ドラマの設定)

 

もう一つ、

高辻富小路(絵師のいたところ)

 

 

現在の高辻通と富小路の交差点

 

地味な場所でしたにやり