慌ただしい師走の16日は、東大寺初代別当良弁の忌日です
東大寺三月堂執金剛神像は良弁の忌日にだけ公開されます
主婦的には年末を奈良で優雅に過ごすのば難しい…毎年毎年そんな状態でした
が、しかーし!
今年はなんとか日程を調整し
初めてこの像と対面することができました
「はじめまして、執金剛神像さまもっと若い時にお会いしたかったのですが、ようやくここまで来ることができました」
「うむ、よく来たな…ま、ゆっくりしていきなさい」
なんて会話はしませんでしたが、
以前から…できれば「お互いの目が黒いうち」にお会いしたかったので、念願が叶いました
私の目はどうでもいいのですが、執金剛神像の瞳は黒々としていました
というのも、彼の瞳には鉛ガラスがはめ込まれているのです
黒々した瞳の様子は実際のお像を観てよくわかりました
まるで現代の若い女子がオシャレのために使うカラコンと同じで(?)、オシャレです
また執金剛神像は年に一度の開扉のため保存状態が非常に良く
服に残された色彩も豊かです
そこもまたオシャレです
オシャレな瞳
オシャレな服
この日は同じ大学院の友人たち(といっても平均年齢はそこそこハイレベル)と東大寺・興福寺の仏像ツアーをすることになっていました
私が、つたない説明係です
この日集まったメンバーのなかで、美術史方面の研究(もどき)をしているのは私だけです(他の人たちのテーマは法然上人だったり本居宣長だったりバッラバラ)
しかし皆さん、奈良や京都の住人ですし仏教そのものには大いに関心があるため
「そうだ、奈良の仏像を見よう!」
ということになり、近鉄奈良駅行基像前に集合!
いざ、東大寺へ!
で、途中をはしょり、話をいきなり東大寺の三月堂から始めますね
まるでディズニーのアトラクションを待つ行列のようです(ディズニーの行列の方が圧倒的に若いけど)
建物の中の礼堂でも、人々がとぐろを巻いて行列していましたが
外陣に入ると
(上三枚、パンフから)
しかし、この日ばかりは 、せっかく出迎えてくれた天平の国宝たちの脇を通ります
脇を通る時に国宝たちを真横から観ることができました
これも初めての体験です
それだけでもすごいことです
ただし、以前いらっしゃった塑像の日光月光菩薩は数年前に東大寺ミュージアムにお引越ししているので(この日は東大寺ミュージアムで面会済み)、三月堂に彼らの姿は見えず少し寂しいかな〜という気持ちはしました
現在の三月堂には、脱活乾漆の面々が前を向いて直立しています
小さめの日光月光がいないので、
でかい像がドンドンと林立している感じです
それにしても、真横から観る…というのはすごく珍しいことで、なんだか気恥ずかしさまで感じてしまいました(//∇//)
さて彼らの脇を通り過ぎ建物の北側に回ると
ちょうど不空羂索観音像と背中合わせに置かれている黒塗りの厨子の扉が開かれているのがわかりました
執金剛神像にたどり着く手前の段階で確認すべきことは、厨子の扉の左右に懸けられている
灯篭の火袋の「蜂」模様のチェックです
この灯篭には、有名な蜂の模様があしらわれているからです
先日の記事にも書いたのですが、この執金剛神像には、『扶桑略記』の霊異譚との一致が見られるのです
すなわち、
平将門の乱(939)に際して、執金剛神像に将門の調伏を祈願したところ、執金剛神の元結紐がたちまち大きな蜂🐝になり平将門の軍勢を刺して大敗させた
…という伝説に基づき、厨子の扉の左右に懸けられた灯篭の火袋に蜂の姿があしらわれているのです(画像検索では見つけられませんでした)
記憶ベースで曖昧ですが、灯篭は「潰した提灯」のような横に広めの丸い形で、鉄の網目のカバーで全体が覆われており、その網目の上方1箇所が蜂🐝の模様になっていました
蜂の模様は左右同じではありませんでした
この蜂の模様は「そこ」だけ網目が不規則になっているため、
蜂のこと、忘れていても、すぐわかる(はなこ、こころの俳句)
ので安心です
蜂を眺めながら進むうちに、いよいよ執金剛神像の前に辿り着きました!
第一印象は
白い・黒い・朱い
でした(?)
ここから、ご説明いたします
まず
白い
ということについて
執金剛神像は保存状態の良さが有名で、「ザ・彩色がよく残る像」と思っていました
例えば、このような写真の印象です↓
しかし、実際に三月堂に行って対面すると、実物はもっと白かったのです
これは、たとえ北向きとはいえ障子から柔らかな光が入ったためだろうと思います
次、
黒い!
これは、上に書いたとおり、瞳の色の印象です
像が白っぽく見えたために、逆にに鉛ガラスが嵌入された瞳の黒さが印象的でした!
「君の瞳にカンパイ!」
とか言いそうになりました(そんなことはないだろう)
そして、
朱い!
これは、口の中の色です
執金剛神像と対面すると、像を「下から見上げる感じ」になるのですが、角度的に口の中・上顎の裏が見えました
そこに、朱色が鮮やかに残っているのがよくわかりました
第一印象は以上のように、色彩に関するものが目に飛び込んできた感じがしましたが、
次にチェックしたいことがあります
塑土の欠損について
次にチェックしたかったのは、元結紐とふくらはぎの塑土の欠損の有無です
このうち元結紐の欠損というのは、灯篭のところでも書いた『扶桑略記』の蜂の話🐝のとおり、元結紐の部分が欠けているということで、これがホントかどうか確かめたい!ということです
それからもう一つ、ふくらはぎの欠損いうのは、
『日本霊異記』の中に良弁僧正が執金剛神像のふくらはぎに縄をつけて引っ張って修行したという話があり、
実際に執金剛神像の右ふくらはぎの塑土が欠けているらしく、それをこの目で確かめたい!ということです
…でもね、なんで執金剛神像ってあちこち欠けている話があるの?
これ、チコちゃんに聞いてみたいくらい不思議ですよね?
正確なことは調べないとわからないのですが、
もしかすると欠損が先にあって、後から説話がこじつられたということかもしれませんね
というのも執金剛神像は塑像、つまり粘土でできているお像だから、重くて、脆い はずです
つまり執金剛神像って、見た目はゴツくて迫力ありますが、
ホントは傷つきやすいガラスの少年(いえ、粘土のオジサン)
だから、天平時代に作られたけど、元結紐とふくらはぎがボロリと欠損してしまった…
そこで後世、その欠損に関して逆にありがたい話が作られて、『日本霊異記』(『日本国現報善悪霊異記』薬師寺僧景戒著)や『扶桑略記』に採録された…という流れはいかがでしょうか?
この二つの書物は、平安時代のものなので、時系列的にはバッチリ符合すると思うのですが…
で、いずれにせよ、
元結紐とふくらはぎの欠損は
見えませんでした〜っチーン
ところで、三月堂の執金剛神像の真正面には、像と対峙できるように、
対面式のひな段が設置されていました(上の図参照)
三段くらいでしたが、これがとてもこわいの
みんな、上ったり下りたりして場所を譲り合うのですが、「段の幅」が狭くてなかなかうまく上れません…いったん上ったら今度は下りれません…
でも、段の一番上まで上るとこちらの視点が執金剛神像と同じくらいの高さになり、まじまじと観ることができるので、私も上の段でじっくり対面させてもらいました(足はガクブル)
で、次の課題です
耳の形の一致の確認
これも前記事に書きましたが、執金剛神像と日光月光像、戒壇堂の四天王像の「耳の形」の一致に関しては、全員揃えて見られないので全然わかりませんでした…(なーんだ)
ということで、三月堂についてはおしまい
ところで、12月16日には俊乗堂や開山堂も開帳されていました
俊乗堂
この二つは、淡々と回りました
さらに、驚いたのは
指図堂が開いていたことです
また指図堂の奥の方には、珍しい阿弥陀三尊来迎像があり、ここでは私が喜びました
法然上人の画像を祀るこのお堂では、阿弥陀三尊ば特急料金で駆けつけてくれるようでした
東大寺は、大仏殿の前のお賓頭盧さまも指図堂のお賓頭盧さまも、怖い顔ですね
このあと、戒壇堂に行き(省略)、興福寺にも行きました(省略)
ところで、鹿のこと
観光客が多かったからのなのか、
冬で芝が枯れていたからなのか
この日はいつもよりも
鹿があちこちで、じんわり近寄ってくる感じがしました
なんか下心あるの?
どこの鹿も、こちらに寄ってくるのです
どうしたことでしょう?
ニンゲンの私たちは、このあと春鹿で日本酒の試飲をして、ゴキゲンになりました
今年も、ブログに全部を拾うことはできませんでしたが、奈良に何回も行くことができて、
シアワセな一年でした
執金剛神像に初めてお会いできたのが、今年のクライマックスかな?
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