奈良 初瀬の與喜天満神社と菅原道真 | 奈良大好き主婦日記☕

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鎌倉在住
子育て終了を機に大学院博士課程修了、研究員になりましたが、2025春、大学を離れました。
奈良ソムリエ検定1級、飛鳥藤原検定初級、鎌倉検定2級
「はなこの仏像大好きブログ」もどうぞ http://naranouchi.blog.jp 


 
続きです〜
 
長谷寺を出て、
與喜天満神社
に行きました(登りました)
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 ↑階段の先に赤い鳥居⛩が見えるわ〜〜おーっ!
見えないけど、本殿はどこじゃー⁉︎


 
長谷寺には何度も来ているのに、與喜天満神社は初めてです
 
「行きたいのに無理あせる」なんですよね、ここ
 
それは、この辺りが坂道すぎるガーンからです
 
どういうことかというと
…いつも長谷寺や室生寺を「登る」のにエネルギーを使い果たしてしまい、與喜天満神社まで登る体力が残らないんです
 
でも今回は臨時バスで室生寺から長谷寺に移動したので、エネルギーが残っているはずですニヤリ
與喜天満神社に行くのは今回がチャンス!


とりあえず、赤い鳥居⛩まで登って振り返ります
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赤い連歌橋の向こうに「こもりくの初瀬」の街並みを見下ろすことができました
 
 
鳥居は朱色が鮮やかです…しかしここからがもっともっと大変なのだ…ガーンあせる
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坂道の先見えないじゃん…ガーン

不安…ですが大丈夫!

だってほら!さっき長谷寺の月輪院で抹茶ソフトのエネルギーチャージをしたばかり!(抹茶ソフトについては一つ前の記事でどうぞ)
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このカロリーチャージは、與喜天満神社のためだったのだ!
 
 
 
鳥居の前には「いせみち」の道しるべがありました
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 鳥居の前を横切る「伊勢道」は、今も細い道が続いているんだそうです
伊勢道はこの辺りでは「化粧坂(けわいざか)」と呼ぶらしいです
…ん?真顔「けわいざか?」…鎌倉にもあるな…
「長谷寺」も「化粧坂」も鎌倉の地名と被るのは偶然の一致なのかしら?




さて、鳥居をくぐり坂道を登ると途中に広場があり
「與喜寺跡」という碑がありました
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神仏習合のお寺があったのでしょうね
 

ここからも初瀬の街並みが見下ろせます…
ますます「こもりくの初瀬」が実感できます
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ここから與喜天満神社の社殿までは、石段を登らねばなりません…ひぇ〜〜っガーン

抹茶ソフトをチャージしたとはいえ大変です…



ねーねーねー


ところで
そもそもどうして與喜天満神社に行きたかったのか?
與喜天満神社って何?
ということについて少し書きたいと思います
 

行きたかった理由は
↓これです!覚えていますか?
奈良博で2011年に開かれた特別展
「初瀬にますは与喜の神垣」
のポスターです
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 おっかない顔したおじさんですねー

全体像はこんな感じ↓
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(この展覧会についての印象は薄いのですがキョロキョロ)
このおっかないおじさんの像が心に引っかかっていました

これは與喜天満神社に祀られた神像なのです
なので、
「いつかは與喜を訪ねなくては!…(なのに初瀬に行くたびにヘロヘロになり体力的に登れない!」)と思っていたのです
(注意神社でこの神像が見られるわけではありません)

今回は、健脚の友人が私の目の前で、坂道でも石段でもお構いなくスタスタと先導してくれて、ようやく行くことができました(ただし私は半死に)照れ
 
神像 正面図
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拡大!こわっ!
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この怖い顔の神像を祀る與喜天満神社の御祭神はあの有名な菅原道真です

ということで、
神像の由来および菅原道真公が祀られた経緯について、與喜天満神社のHPから引用します

(像の由来)↓
「寛平の頃(890年頃)この山に一人の樵夫が與喜山で仕事をしていた時、彼の小屋に誰かが「これを祭れ」といって何かを投げました。 そこには木像が落ちていました。 樵夫はその頃、長谷寺に菅原道真公が参詣に来られていたので、その像は公の御作として、大切にお祭りしました。 その像が神社に現存する木造神像と伝えられています。」 

(與喜社に道真公が祀られた経緯)
「また、この初瀬の里に神殿太夫武麿という修行を積んだ高徳の人がいました。 天慶9年(946年)の9月18日の明け方、武麿は高貴な老人の夢を見ました。2日後の9月20日、ふしぎなことにこの武麿の自宅の前の石の上に高貴な翁が座っていました(現在の切石御旅所の地)。 翁が長谷寺へ参詣に向かうと武麿もついて行きました。 翁は川で禊ぎを(現在の中の橋詰め御旅所の地)された後、十一面観音を参り、瀧蔵権現に参ると、急に黒雲が湧いてきてその翁を包みました。 すると、翁は立派な衣冠装束姿となり「私は右大臣正二位天満神社菅原道真」と名乗り、「私はこの良き山に神となって鎮座しよう。」と語って 言葉の通り神鎮まりました。 これが與喜天満神社のはじまりです。 與喜という神社号は、瀧蔵権現が道真公の神霊に「良き地」だとおっしゃったことから起こりました。 「吉のお宮」と呼ばれるゆえんです。

天暦2年(948年)7月、武麿は神殿を建立しました。 これが與喜天満神社の創祀です。」



ふーむ、なるほど…🤔

ところで、そもそも「菅原道真公とこの土地の結びつき」はは何だったのでしょうか?

…両者のご縁を辿ると、なんとあのお相撲で有名な野見宿禰に遡るようです

またHPの引用
(菅原道真とこの土地の関係)↓
「菅原道真公のご先祖・野見宿禰は、ここ初瀬の出雲のご出身で、初めは土師氏と称しました。道真公にとって初瀬は遠祖からのふるさとだったのです。一朝廷から学者として信任され、道真公は右大臣まで累進しましたが、大宰府に左遷されて亡くなりました。しかし、道真公が現世では不幸な人生を閉じられましたが、生前のご功績とその至誠のこころから人々に敬われ、 ついに神となりました。このような光栄なことがありましょうか。当社はわが国最古の天神信仰のお宮です。ことに入試合格・学業成就・子育てには霊験あらたかといわれています。」


!そうか、道真公は野見宿禰の子孫だったんですね…ということは、道真公もお相撲が強かったんでしょうか?ニコニコ

(ご参考にやり)
垂仁7年7月7日の日本初の天覧相撲
「野見宿禰 vs 当麻蹴速」の相撲の様子(相撲のはじまり)↓爆笑
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お相撲のことは、こちらにも書いてあります
2016/11/27 山の辺の道、纒向遺跡と相撲神社



本ところで、道真公についてですが、
言うまでもなく、彼は平安時代の学者であり役人でした
彼は醍醐天皇の時に右大臣となりましたが、左大臣藤原時平の讒言で排斥、大宰府に左遷され(→昌泰の変)、そこで亡くなってしまいました

菅原道真

時平により排斥された時の菅公の心中を察すると、そりゃもう失意と激おこムキーだったと思われます

「激おこ道真様」は大宰府で亡くなってから、
怨霊ドクロとなり全国を吹き荒れましたおばけくんおばけくん 

…(八つ墓じゃないけど)「たたりじゃー」

たとえば京都では「清涼殿落雷事件」という事件がありました
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↑北野天神絵巻の「清涼殿落雷事件」(wikiより)

時平も慌てています↓
この事件は清涼殿落雷事件と呼ばれ、雨乞いの会議のために清涼殿にお公家さん達が集まっていたところに落雷した事件です(そのまんまのネーミングだった…)

wikiにはこんなふうに説明されています
この時、周辺にいた公卿官人らが巻き込まれ、公卿では大納言民部卿藤原清貫が衣服に引火した上に胸を焼かれて即死、右中弁内蔵頭平希世も顔を焼かれて瀕死状態となった。清貫は陽明門から、希世は修明門から車で秘かに外に運び出されたが、希世も程なく死亡した。落雷は隣の紫宸殿にも走り、右兵衛佐美努忠包が髪を焼かれて死亡。紀蔭連は腹を焼かれてもだえ苦しみ、安曇宗仁は膝を焼かれて立てなくなった。更に警備の近衛も2名死亡した」(清涼殿落雷事件)

これは当時の人々にとっては
道真のたたりじゃ〜〜ドクロドクロ
あなおそろしや〜〜叫び叫び
(((( ;°Д°))))あせるあせるあせる

と思われ、キョーフのズンドコ…ではなく恐怖のどん底に落とされたんでしょうね…


神社神社神社


えっと、話を與喜天満神社に戻しますほっこり




石段の残りを頑張って登ると…足がもう上がらない!というところで、

ようやく社殿がみえました

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周りには、磐座などいろいろありました(急にざっくりな説明になる…)

遥拝所
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磐座
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ということで、與喜天満神社についてのお話し、尻つぼみ?ですが、終わります

それにしても、長谷寺に比べて與喜天満神社を訪れる人の少ないこと!
これはやはりこの場所の立地が原因なんじゃかいかと思います 
体力的にお参りが難しいんですよ…


帰り道の下り坂で、私たちも多少無口になりました

近鉄長谷寺駅へ向かいます

その途中にあり、法起院には是非寄りたい
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だって (少し前の記事に書いた通り)、ここにはオジサン顔のお地蔵さん(=「オジぞうさん」←おー!いい名前を思いついた爆笑!)がいらっしゃるからです

どーん!
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「オジぞうさん、お元気ですか?
きょうも、赤いよだれかけが素敵ですね」
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「……」


でも、私が思うにオジぞうさんは、背広とネクタイでもいけるんじゃないかと(どこに?)思いますよ

たとえばほら、↓こんなふうに
このお二方、
ひとしくん人形、いえ、草野さんと
オジぞうさん、いえ、お地蔵さんは
ほうれい線のあたりが似ている気がします

オジぞうさんのいらっしゃる小さな境内には綺麗な牡丹
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ハチだかハエだかが、どいてくれなかったんですけどね↑



法起院を出てから、再び長谷寺参道を下ると道の左右には、牡丹を売る店が臨時出店していました
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ここから長谷寺駅まで行くには、最後にもう一回坂道を登らなければなりませんチーン
このあたり、本当に過酷な場所です

ようやく長谷寺駅に着いた〜
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(偶然写りこんだ知らない人↑) 





学友は、この日は近鉄奈良駅周辺に泊まるというので、私も近鉄奈良駅まで行きました

駅の近く、きたまちの↓こんなお店で夕食をとることにしました
きたまち ce magasin
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お店情報↓


小さなワインのお店で、
私たちが入ると満席になりました

座った席から外側を見てみるとこんな感じ
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壁に現代作家の絵が飾ってあります
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ワインのお店なのでグラスワインではなく、一本買って楽しんだほうがよいと、マスターに言われました

残ったらホテルにどうぞ、ということで、ロゼのスパークリングワインを一本もらい、分けました
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「そんなにたくさん飲めないわ〜ラブラブ
なんていい歳してぶりっ子してみたけど、
2人で軽く空けてしまいました…ニヤリ

お料理も美味しかったです
前菜2人分
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前菜のほかにチーズの盛り合わせとか、
メイン(ラザニアだったかグラタンだったか?うーん忘れてしまった…)などいただきましたが、
ワインを空けて🍷酔ったのか、写真を撮り忘れましたショック

でも前菜の写真だけでも、美味しくてステキなお店だと思いませんか?
おススメしますよ〜赤ワイン白ワインロゼワインシャンパン



 

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