続きです〜
長谷寺を出て、
與喜天満神社
に行きました(登りました)
↑階段の先に赤い鳥居⛩が見えるわ〜〜
見えないけど、本殿はどこじゃー⁉︎
長谷寺には何度も来ているのに、與喜天満神社は初めてです
「行きたいのに無理
」なんですよね、ここ
」なんですよね、ここそれは、この辺りが坂道すぎる
からです
どういうことかというと
…いつも長谷寺や室生寺を「登る」のにエネルギーを使い果たしてしまい、與喜天満神社まで登る体力が残らないんです
でも今回は臨時バスで室生寺から長谷寺に移動したので、エネルギーが残っているはずです
與喜天満神社に行くのは今回がチャンス!
とりあえず、赤い鳥居⛩まで登って振り返ります
坂道の先見えないじゃん…
不安…ですが大丈夫!
だってほら!さっき長谷寺の月輪院で抹茶ソフトのエネルギーチャージをしたばかり!(抹茶ソフトについては一つ前の記事でどうぞ)
鳥居の前を横切る「伊勢道」は、今も細い道が続いているんだそうです
伊勢道はこの辺りでは「化粧坂(けわいざか)」と呼ぶらしいです
…ん?
「けわいざか?」…鎌倉にもあるな…
「長谷寺」も「化粧坂」も鎌倉の地名と被るのは偶然の一致なのかしら?
ますます「こもりくの初瀬」が実感できます



そうか、道真公は野見宿禰の子孫だったんですね…ということは、道真公もお相撲が強かったんでしょうか?
ところで、道真公についてですが、
ここから與喜天満神社の社殿までは、石段を登らねばなりません…ひぇ〜〜っ
抹茶ソフトをチャージしたとはいえ大変です…
ところで
そもそもどうして與喜天満神社に行きたかったのか?
與喜天満神社って何?
ということについて少し書きたいと思います
行きたかった理由は
↓これです!覚えていますか?
奈良博で2011年に開かれた特別展
「初瀬にますは与喜の神垣」
全体像はこんな感じ↓
このおっかないおじさんの像が心に引っかかっていました
これは與喜天満神社に祀られた神像なのです
なので、
「いつかは與喜を訪ねなくては!…(なのに初瀬に行くたびにヘロヘロになり体力的に登れない!」)と思っていたのです
(
神社でこの神像が見られるわけではありません)
今回は、健脚の友人が私の目の前で、坂道でも石段でもお構いなくスタスタと先導してくれて、ようやく行くことができました(ただし私は半死に)
神像 正面図
ということで、
神像の由来および菅原道真公が祀られた経緯について、與喜天満神社のHPから引用します
(像の由来)↓
「寛平の頃(890年頃)この山に一人の樵夫が與喜山で仕事をしていた時、彼の小屋に誰かが「これを祭れ」といって何かを投げました。 そこには木像が落ちていました。 樵夫はその頃、長谷寺に菅原道真公が参詣に来られていたので、その像は公の御作として、大切にお祭りしました。 その像が神社に現存する木造神像と伝えられています。」
(與喜社に道真公が祀られた経緯)↓
「また、この初瀬の里に神殿太夫武麿という修行を積んだ高徳の人がいました。 天慶9年(946年)の9月18日の明け方、武麿は高貴な老人の夢を見ました。2日後の9月20日、ふしぎなことにこの武麿の自宅の前の石の上に高貴な翁が座っていました(現在の切石御旅所の地)。 翁が長谷寺へ参詣に向かうと武麿もついて行きました。 翁は川で禊ぎを(現在の中の橋詰め御旅所の地)された後、十一面観音を参り、瀧蔵権現に参ると、急に黒雲が湧いてきてその翁を包みました。 すると、翁は立派な衣冠装束姿となり「私は右大臣正二位天満神社菅原道真」と名乗り、「私はこの良き山に神となって鎮座しよう。」と語って 言葉の通り神鎮まりました。 これが與喜天満神社のはじまりです。 與喜という神社号は、瀧蔵権現が道真公の神霊に「良き地」だとおっしゃったことから起こりました。 「吉のお宮」と呼ばれるゆえんです。
天暦2年(948年)7月、武麿は神殿を建立しました。 これが與喜天満神社の創祀です。」
ふーむ、なるほど…🤔
ところで、そもそも「菅原道真公とこの土地の結びつき」はは何だったのでしょうか?
…両者のご縁を辿ると、なんとあのお相撲で有名な野見宿禰に遡るようです
またHPの引用
(菅原道真とこの土地の関係)↓
「菅原道真公のご先祖・野見宿禰は、ここ初瀬の出雲のご出身で、初めは土師氏と称しました。道真公にとって初瀬は遠祖からのふるさとだったのです。一朝廷から学者として信任され、道真公は右大臣まで累進しましたが、大宰府に左遷されて亡くなりました。しかし、道真公が現世では不幸な人生を閉じられましたが、生前のご功績とその至誠のこころから人々に敬われ、 ついに神となりました。このような光栄なことがありましょうか。当社はわが国最古の天神信仰のお宮です。ことに入試合格・学業成就・子育てには霊験あらたかといわれています。」
(ご参考
)
垂仁7年7月7日の日本初の天覧相撲
「野見宿禰 vs 当麻蹴速」の相撲の様子(相撲のはじまり)↓
ところで、道真公についてですが、言うまでもなく、彼は平安時代の学者であり役人でした
菅原道真
時平により排斥された時の菅公の心中を察すると、そりゃもう失意と激おこ
だったと思われます
「激おこ道真様」は大宰府で亡くなってから、
怨霊
となり全国を吹き荒れました
となり全国を吹き荒れました…(八つ墓じゃないけど)「たたりじゃー」
たとえば京都では「清涼殿落雷事件」という事件がありました
時平も慌てています↓
この事件は清涼殿落雷事件と呼ばれ、雨乞いの会議のために清涼殿にお公家さん達が集まっていたところに落雷した事件です(そのまんまのネーミングだった…)
wikiにはこんなふうに説明されています
「この時、周辺にいた公卿・官人らが巻き込まれ、公卿では大納言民部卿の藤原清貫が衣服に引火した上に胸を焼かれて即死、右中弁内蔵頭の平希世も顔を焼かれて瀕死状態となった。清貫は陽明門から、希世は修明門から車で秘かに外に運び出されたが、希世も程なく死亡した。落雷は隣の紫宸殿にも走り、右兵衛佐美努忠包が髪を焼かれて死亡。紀蔭連は腹を焼かれてもだえ苦しみ、安曇宗仁は膝を焼かれて立てなくなった。更に警備の近衛も2名死亡した」(清涼殿落雷事件)
これは当時の人々にとっては
道真のたたりじゃ〜〜



あなおそろしや〜〜



(((( ;°Д°))))





と思われ、キョーフのズンドコ…ではなく恐怖のどん底に落とされたんでしょうね…
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えっと、話を與喜天満神社に戻します![]()
石段の残りを頑張って登ると…足がもう上がらない!というところで、
ようやく社殿がみえました
周りには、磐座などいろいろありました(急にざっくりな説明になる…)
遥拝所
磐座
ということで、與喜天満神社についてのお話し、尻つぼみ?ですが、終わります
それにしても、長谷寺に比べて與喜天満神社を訪れる人の少ないこと!
これはやはりこの場所の立地が原因なんじゃかいかと思います
体力的にお参りが難しいんですよ…
帰り道の下り坂で、私たちも多少無口になりました
近鉄長谷寺駅へ向かいます
どーん!
「オジぞうさん、お元気ですか?
きょうも、赤いよだれかけが素敵ですね」
でも、私が思うにオジぞうさんは、背広とネクタイでもいけるんじゃないかと(どこに?)思いますよ
たとえばほら、↓こんなふうに
このお二方、
ほうれい線のあたりが似ている気がします
オジぞうさんのいらっしゃる小さな境内には綺麗な牡丹
ここから長谷寺駅まで行くには、最後にもう一回坂道を登らなければなりません
このあたり、本当に過酷な場所です
ようやく長谷寺駅に着いた〜
学友は、この日は近鉄奈良駅周辺に泊まるというので、私も近鉄奈良駅まで行きました
駅の近く、きたまちの↓こんなお店で夕食をとることにしました
きたまち ce magasin
お店情報↓
小さなワインのお店で、
私たちが入ると満席になりました
ワインのお店なのでグラスワインではなく、一本買って楽しんだほうがよいと、マスターに言われました
「そんなにたくさん飲めないわ〜
」
なんていい歳してぶりっ子してみたけど、
2人で軽く空けてしまいました…
お料理も美味しかったです
前菜のほかにチーズの盛り合わせとか、
メイン(ラザニアだったかグラタンだったか?
忘れてしまった…)などいただきましたが、
ワインを空けて🍷酔ったのか、写真を撮り忘れました
でも前菜の写真だけでも、美味しくてステキなお店だと思いませんか?
おススメしますよ〜



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