定朝も運慶も仕事をした「七条仏所」跡 | 奈良大好き主婦日記☕

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鎌倉在住
子育て終了を機に大学院博士課程修了、研究員になりましたが、2025春、大学を離れました。
奈良ソムリエ検定1級、飛鳥藤原検定初級、鎌倉検定2級
「はなこの仏像大好きブログ」もどうぞ http://naranouchi.blog.jp 




皆さん、京都駅から比較的近いところにある
「七条仏所跡」をご存知ですか?

昨晩、この辺りを歩いていてみました
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読みやすいように、上の写真を拡大して2枚に分けてみます
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七条仏所とは、定朝から運慶・快慶に至るまでの間、造仏が行われた仏所なんですね


当然この場所で、平等院の阿弥陀如来像も制作され、宇治まで運ばれました



夜中だったので周囲の景色が撮れませんでしたが(真っ暗だった)、グーグルマップで場所を確認してみます

七条通と高倉通の南東角、↓青い印の場所です
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地図を拡大すると赤い印の場所です
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定朝はここで造った阿弥陀如来像をはるか宇治まで運んだのです

その時の様子は、平等院鳳凰堂の創建者、藤原頼通の家司であった平定家の記録『定家朝臣記』に記録が残っています

それによれば、
・天喜元年(1053)2月19日午前2時に阿弥陀如来像はこの仏所から宇治に向け出発
・午前4時には興福寺の別当真範が鳳凰堂の仏壇に結界を張り
・お昼12時ちょうどに阿弥陀如来像を仏壇に安置した
と記録されています

阿弥陀如来像は「寄木造」なので、見た目よりは重くなかったかもしれませんが、それにしても丈六のあの巨体です
それを七条仏所から運び出し(おそらく光背・台座も一緒か?)、ズルズルと宇治まで運び、宇治川も渡り、たったの10時間で鳳凰堂の台座に安置するところまでこぎつけたわけです
台座・光背は事前に運んだかも?という気もしないでもないですが、それにしても、現代の日通さんみたいに文化財を運ぶのを得意とした人がいたんでしょうね

…なんて、ボンヤリ考えながら夜中に歩いておりました(真っ暗だから、良い子は真似しないようにね)





高倉通を北方向に少し歩くと、ぱあっと明るい場所がありました
近寄って見ると「神社」でした
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夜中にここだけ明るくて、なんだか「ぞくっ」としました
怪しくないのだろうけど、怪しい雰囲気がありました



京都では、陰陽道もまだ現役のようです
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すごいよね〜〜ほんとに…









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