極楽寺の麗しの釈迦如来@奈良博『忍性』展 | 奈良大好き主婦日記☕

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鎌倉在住
奈良や仏像が好きで子育て終了と共に学び直し大学院博士課程修了、研究員になりました。
テーマは平安後期仏教美術。

明日香村、山の辺の道等万葉集の故地が好きです。
ライブドアにも書いていました(はなこの仏像大好きブログ)http://naranouchi.blog.jp




鎌倉極楽寺清涼寺式釈迦如来
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鎌倉にある極楽寺の清涼寺式釈迦如来像は
極楽寺でも殆ど拝観できません


こちらは今年の春先の極楽寺
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今回の奈良博『忍性』展では、
極楽寺から、その清涼寺式釈迦如来像をはじめ、多数の仏像が出品されていました
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鎌倉極楽寺、清涼寺式釈迦如来立像
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「清涼寺式釈迦如来」については、どこかで検索してみてくださいね

同じ清涼寺式でも、像によりお顔はまちまちで、極楽寺の清涼寺式はとてもお美しいのです



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夏目雅子さん似と私は思いますが、品の良いお顔をしています
首が細くて長いところも、美しさのポイントかもしれません

なかなか拝せないこのお像に奈良博で会うなんて……行ってよかったニコニコ

博物館の展示なので、展示ケースの中に安置されていて(周りは十大弟子に護衛されていた照れ)、お顔の表情から首の長さ、衣文の綺麗さ、スタイルの良さ、すべてよく見えます

他の清涼寺式とのお顔立ちの違いもよくわかります




極楽寺からの他の出品は……

忍性像
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頭部は鎌倉時代、体部は鎌倉〜室町時代



極楽寺
叡尊像
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頭部 1306年、体部 1425年

忍性が西大寺で出会ったお師匠さん
西大寺で慈善活動を展開していました

よく似た感じのお像ですね
顔は全然違いますけど






そのほかの、「鎌倉極楽寺コレクション!」いきま〜すウインク

釈迦如来坐像 13世紀
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このお像は、転法輪印という珍しい印相
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京都太秦の広隆寺講堂にある阿弥陀如来も同じ印相です





文殊菩薩  13世紀
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お顔アップ↓   目が印象的
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このお像は、鎌倉浄光明寺の脇侍(善派)と類似するといわれているそうです


こちらがその浄光明寺の観音菩薩坐像(2年前に奈良博で展示されました)
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2年前の奈良博の展示の時の私の記事↓
2014/5/29鎌倉美人?@奈良国立博物館





十大弟子も揃って釈迦如来を護衛していましたが、
その中でも、キモカワ系3人組!

迦葉
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目犍連
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舎利弗
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この三体のおじいちゃんについて娘に聞いたら、確かに「可愛い」そうです(娘が心配)



そして、久しぶりの五郎丸
優波離
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……などなど、十大弟子は10人全員奈良滞在中!(極楽寺に留守番はいるのかしら?)




さらに、江戸時代の地図も展示されていました
(地図に描かれた内容は江戸時代より
もっと古い時代のものだろうということでした)
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昔はたくさんの伽藍を配する巨大な寺院でしたね


上の地図の向かって左には

癩宿
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癩病患者のための施設でした



場所的にも、パッと見も、江ノ電かと間違えてしまう、向かって右の建物
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さらに拡大すると、病宿とあり、
その下には、施薬悲田院という名も見える
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忍性は、奈良の光明皇后と同じように、病気の人々の施設をつくる福祉活動を、鎌倉時代に鎌倉の地で行ったのです



その対象は人だけではなく

坂下馬病図
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忍性は、怪我をしたまで見捨てずにここで面倒をみました




忍性さんの活動の様子を見て、時代を越え、優しい人柄に触れることができました




馬馬馬




ところで、この極楽寺は、稲村ガ崎の内側なのですが、
このように巨大な福祉施設のあるすぐそばの稲村ガ崎で、新田義貞は海に向かって剣を投じたんでしょうか?

新田義貞の鎌倉攻めと、福祉施設の時代と場所が重なると思うのです…

新田義貞の鎌倉攻め⇨1333/5/18

新田義貞は、稲村ガ崎から、海に剣を投じ、海の水が後退したところを通って鎌倉攻めを行いました


他方、、極楽寺の創建は1259年、忍性開山堂入寺が1267年、1275年に火災、1303年忍性没、1308年、火災
その都度復興→拡充
 この後、1425年の火災と1433年の地震で、復興がままならなくなったそうです
 

つまり、忍性は亡くなっていましたが、極楽寺の復興、再興期に、すぐ近くで新田義貞の鎌倉攻めが行われたと考えられるのですアセアセ

戦乱の時代だったとはいえ、極楽寺の施設にいた人々そして、馬々は驚いたことでしょう……びっくりヒヒ〜ン


 
新田義貞の鎌倉攻めは、極楽寺坂が険しくて狭いから(現在の極楽寺坂よりもさらに急峻だった)、海の干潮時間を狙い海側から回ったと聞いて育ちましたが、
新田義貞にしてみたら、慈善施設(と馬)を踏み散らかして攻めるのも気が引けた っていう理由があったのかもしれませんね〜〜キョロキョロ