明日香5~遺跡がいっぱい | 奈良大好き主婦日記☕

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鎌倉在住
奈良や仏像が好きで子育て終了と共に学び直し大学院博士課程修了、研究員になりました。
テーマは平安後期仏教美術。

明日香村、山の辺の道等万葉集の故地が好きです。
ライブドアにも書いていました(はなこの仏像大好きブログ)http://naranouchi.blog.jp

 
さて、坂の茶屋をでて岡寺へ向かいました

飛鳥の中では少し離れた場所にあって、西国七番霊場の岡寺は
私の中では少し異色な印象があります
 
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ここまで来ると平地ではなく山の中のお寺ですね

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もちろん有名なのは大きな塑像の
如意輪観音

 
これをガラス越しに(!)見ました



 
岡寺をざっとみて、再び飛鳥寺方向に戻ります
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西の方向に向けて下って行きます

向こうの方に二上山が見えるねー
畝傍山もちょこっと見える

飛鳥京跡に降りて来ました
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飛鳥も奈良も、至る所に都の跡が復元保存されていますね
これは鎌倉には殆どないことです
鎌倉は狭いからこんな風に保存する土地の余裕がないけど
イコモスに、現代に残る証拠がないとか言われてしまうのもこういう保存がないからじゃないのかなあ


現地の案内板
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平成7年設置の案内板には伝板蓋宮(いたぶきのみや)跡と書かれています


ここはその後、私が子育てでボーっとしている間に発掘が進み、いろいろなことがわかったらしいですよ

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見にくくて申し訳ないですが、これが2004年調査の写真です
(平凡社別冊太陽『飛鳥古代への旅』より)

私は今、向こうの山の中腹から下りてきたという位置関係です
 
詳しい話は別のどこかにお任せしますが(丸投げ~(^▽^;) )

この場所には、3時期にわたる宮殿があったようです
3期とは古い順に
Ⅰ期  舒明天皇 飛鳥岡本宮
Ⅱ期  皇極天皇 板蓋宮
Ⅲ期  斉明天皇・天智天皇 後岡本宮、天武天皇 浄御原宮


現在公園になっているのはⅢ期の遺構だそうです
Ⅰ期、Ⅱ期はⅢ期の下にあるわけで、Ⅲ期を壊さないと下の調査はうまくいかないらしい

それはそうだろう

宮殿のミルフィーユだね、こりゃミルフィーユ (ミルフィーユなら倒して食べられるけどねぇ…)



Ⅲ期の遺構
 
 (橿原考古学研究所明日香村飛鳥京跡第151次調査 -内郭中枢の調査-現地説明会資料(2004年3月13日) より)


 
このⅢ期の遺構は「内郭」を中心としていますが、南東に「エビノコ郭」と呼ばれる大型の建物もあったんですって
「エビノコ」はこの場所の小字名なんですって…なんかかわいいひびき~≧(´▽`)≦
エビノコ郭の遺構の性格は諸説あるそうですが、川上邦彦さんは天武天皇のもがりの宮(遺体をしばらく安置する仮宮)ではないかとおっしゃってます
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↓このあたりがエビノコかなあ?現地ガイドさんとかに聞かないと詳しいことはよくわからないわ
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↓こちらは昔から伝板蓋宮の遺構として昔から整備されていました
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昭和の案内板にも伝板蓋宮跡とありますね
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お、こんなところに万葉歌碑が
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采女(うねめ)の袖吹きかへす明日香風都を遠みいたづらに吹く(巻一 5)志貴皇子

現地に行ったら、逆に何が何だかよくわからなかったんですが
なんとなくわかったから、まあいいや(てきとーだな)


さて、すぐ近くの万葉文化館に行きました

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あっ、また万葉歌碑だ!

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せんとくん、お久しぶり
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せんとくん、どこみてるの?



この万葉文化館の下には
飛鳥池遺跡
が埋まっているのです(万葉文化館内部の渡り廊下から外を見ると、一部レプリカが見られます)
これは7世紀後半から8世紀初めにかけての工房跡です
詳しい話は別のどこかにお任せするとして(また出た!得意技≧(´▽`)≦… )
ざっと遺跡の話をすると

この遺跡は北地区南地区に分かれ
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これは数年前の奈良大学時代の私の発表、糊で貼って、手書きの昭和アナログ式(^▽^;) ははは…(いえ、、模造紙に発表っていう指定だったんですよ…)

遺跡の北地区は役所などの建物、南地区は工房跡です

工房では、銅・鉄・金・銀などを扱った炉跡があり、仏具・装飾・建物金物・工具・武器・ガラス・玉・漆製品・瓦等が製造されたようです
古代のコンビナートなんていう表現もされているようです
有毒物質に関する知識が多少あったようで、これらの製造に使った水の不純物を沈殿させて上澄みの水を流すような濾過のための小さな池が何段階か造られたようですよ

そんなんじゃだめだろうにね…きっと公害病があったでしょうね


この遺跡での大きな発見は
富本銭(ふほんせん)
日本最古の貨幣です

私が子供の頃は日本最古の貨幣は和同開珎と習ったけど、それより古い貨幣が見つかったのがここ
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ちゃんとした貨幣は一つ?くらいしか見つからなかったらしいのですが、
こういう失敗作が結構出土したらしですよ

この富本銭が、ちゃんとした流通貨幣だったのか、はたまた厭勝銭(ようしょうせん=まじないの銭)だったのかが論点になっているそうです

私が以前読んだ本では、出土数の少なさから流通量が少なかったと思われることや
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このぷつぷつの模様がまじないの銭の特徴であることから
厭勝銭であると書いてあったと記憶してますが(ちゃんと読み直してないから、興味ある人は自分でお調べになってね)

万葉文化館のボランティアガイドさんは、富本銭の出土数が少ないのは
溶かして和同開珎につくりかえられたためとおっしゃっていて
なるほど!?と思いました

ここのすぐ隣に酒船石遺跡、亀形石造物があるんだけど
今回は予定通り割愛しました

すぐそこだったから行けばよかったかなぁ・・・とチラっとおもったりして




参考文献
和田萃『飛鳥ー歴史と風土を歩く』(岩波新書)
森公章『史跡で読む日本の歴史3 古代国家の形成』(吉川弘文館)
千田稔他『飛鳥藤原京の謎を撮る』文英堂
東野浩之「東アジアの中の富本銭」『日本古代史料学』岩波書店)