八窓庵(大和)の神秘 専門家も断定できない | naranoaのブログ

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茶道を主として日々したこと思ったことを書いています

八窓庵の神秘
 殆どの古い有名茶室は当然ですが傷んで改修される、その時当初の茶室を自分の好みや流行で

変更してるようだ。
 しかも大部分の国宝・重文は当初の場所から移築されているので尚のこと本歌かは疑問。

例えば国宝待庵
☆タイトル:見逃し配信 「千利休 生誕500年」
https://vod.bs11.jp/contents/1484?fcid=29
第14回「千利休 生誕500年~茶聖の生み出した美~」 | BS11+(BS11プラス)

では
 弟子たちが書いた図面が近年出てきた 現在と異なるとのこと

当初バージョンを瑞峰院に再現

     元々良い茶室がある+冷房を備えた大寄せ用もあります 贅沢

現在の本歌 と本当の利休本歌の違いは
1。躙り口に坪庭があった
2。床の広さ 図面:5尺の床 本家待庵:4.5尺 少庵 好みだそうな
 ええ!と思いますね

八窓庵 同名で札幌に”重文”の八窓庵があります小堀遠州好(滋賀県長浜市から幾たびの移築)
https://www.city.sapporo.jp/ncms/shimin/bunkazai/bunkazai/syousai/06k_hassoan.html
頁内の写真を見ると”動画を見る”があります。おいおい、そんだけ内部無、幾たび移設が解った
 奈良博内の八窓庵も移築されて今のところへ(そんなに動いたわけでない興福寺内)
かって多くの茶室が大和(奈良県)にあった、有名寺院塔頭+茶人武家の領地 出入り商人

その内の大和3名席ですが現在奈良在は八窓庵のみです。

 八窓庵はもとは興福寺の大乗院庭内にあった茶室で、含翠亭(がんすいてい)ともいい、

江戸時代の名茶人、古田織部(1544-1615)好みと伝えられる多窓式茶室として有名です

識者は様式から江戸時代中期以前に建てられたとしている。しかし時の好みで改造していたとするともっと古いと考えられる。

 最近の研究は 奈文研 箱崎和久部長

        現在は都城発掘調査部 部長/都城発掘調査部遺構研究室長(兼務)

        古い物調査専門家中の専門家

含翠亭とは八窓庵のことです
https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/9699/1/BA67898227_2018_036_037.pdf

大和3名席はこの茶室八窓庵と

興福寺塔頭慈眼院の六窓庵 (ろくそうあん 現所東京国立博物館に在)、

東大寺塔頭四聖坊の隠岐録(おきろく 東京へ移建の後、戦災で消失)と称される茶室

 

 大徳寺が数々の武将の墓所になる前は
安桃時代から江戸期にかけて大和は日本一の茶の湯の盛んな地だった
特に東大寺と興福寺の塔頭には多くあったと考えられる。

  余談:両寺を目標にしたのが京都の紅葉の名所東福寺 京都駅から一駅なのに巨大な寺域


大和 そんな田舎の茶室と思われる方は茶道歴史を見てください 大和で領地・稼業の茶人
珠光、松永久秀、豊臣秀長、古田織部、小堀遠州、片桐石州 松屋会記の松屋3代 永楽の前の名西村家他

大和茶道関連地図↓

奈良 桃山・江戸初期 茶之湯 位置関係図 (tttt.tk)


大和だけで茶道具全部揃うと言われています

それはお寺に必要な物を調達するため必然的に産業として発達したから

柄杓・茶筌・茶巾の消耗品からと考えられます