間違いを指摘された時
それが、どんなに正しくても
素直に聞けないことがあります。


それは、伝え方や言い方に
責めれている、と感じるか感じないか。


つまり
評価や批判を感じるか感じないか。
上から言われているような気がするかしないか。
それが溜まりに溜まってきたら
なおさら聞けないことがあります。


私は、長い間
自己肯定感がとても低く
他人の目が気になり、人に褒められるように
認めてもらえるように生きてきました。


それに気づいてショックだったけれど
それを変えようと思ったのは
正しいか間違っているかではなく
評価のない人の愛でした。


私に気づかせてくれたその人は
私を責めなかった。
その代わり、私を先ず信じてくれた。



あなたは間違っている
早く気づきなさいょ
何回言えばわかるの?
とは言わなかった。


その人が私にくれた言葉は
今までのやり方が、例え間違っていたとしても
それが、あなたを守ってきてくれたのね。


涙がとまりませんでした。
私は、変わりたい!
新しい生き方で生きていきたい!
心からそう思いました。
私のことを信じてくれていることが
先に伝わったと感じたんです。


間違いを正す以前に
私を受け止め信頼してくれたんです。



自分を満たすためにやってきたことが
例え、偽善であったとしても
今までのやり方に感謝だね、と。


やり方がまずくても
決して裁いたりしない。
それが出来るのは、強く大きな愛が
なければ出来ないことだと思う。

温かかったなぁ


信じているょ
信じているょ
信じているょ


そんな無言のメッセージを
受けとりました。



私の今の心の柱に自己信頼が築けたのは
恩師の大きな、条件なし(無条件)の愛です。
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一生忘れません。



【ブログー第第1206回】みずさき ゆか