第一章 家の商売

私の両親は奈良の繁華街で、ベビー服と子供服の店を営んでいた。

場所は餅飯殿の商店街である。昔から続く商店街で、奈良の町の人にはよく知られた通りだった

店はそれほど大きくはなかったが、子供服の専門店として長く商売をしていた。

私も若い頃からその店を手伝うようになり、やがて本格的に店に入ることになった。


店の一日は、まずシャッターを開けることから始まる。

店先を掃き、店内を掃除し、商品に値段を付け、季節に合わせて飾り付けをする。

開店は朝十時、閉店は夜八時だった。

営業中はお客の試着の手伝いをしたり、売り場を整えたりする。

夕方になるとまた店内を片付け、掃除をしてシャッターを閉める。

それが毎日の仕事だった。


商店街の店というのは、派手な仕事ではないが、同じことを毎日きちんと続けていく仕事である。

私の二十代は、そうした店の仕事の中で過ぎていった。


第二章 店の一日

店の仕事は、毎日ほとんど同じことの繰り返しだった。

朝はシャッターを開け、店先と店内を掃除する。

それから商品の値段付けをしたり、季節に合わせて飾り付けを整える。

開店は午前十時で、夜八時まで営業していた。


営業中は、お客の試着を手伝い、売れた商品の片付けをする。

子供服の店なので、子供を連れた母親が多く来店する。

店の中はときには賑やかだった。

昼食は、店員の女性二人が交代で食事に出かけ、その後で私が外へ食べに行くという形だった。

後には給食弁当を取るようになり、店で食べるようになった。

夜になると店内を整え、掃除をしてシャッターを閉める。

それが一日の終わりだった。


第三章 商店街のにぎわい

餅飯殿の商店街は、昔から奈良ではよく知られた通りだった。

季節の変わり目の土日や、春休み、ゴールデンウィーク。

そして年末になると通りはかなりの人出になる。

近くには喫茶店も何軒かあり、映画館などの娯楽も歩いて行ける場所にあった。

買い物のついでに寄る人も多く、商店街としてはなかなか活気があったと思う。


子供服の店では、季節ごとに商品が変わる。

春や秋の衣替えの頃には忙しくなり、店もにぎやかになった。

そうした日々の中で、私は長い間店の仕事を続けていった。


第四章 商店街の変化

しかし商店街の様子も、少しずつ変わっていった。

近鉄奈良駅が地下化されてからは、人の流れが変わり、小西通りのあたりはにぎわうようになった。

一方で三条通りも次第に店が増え、通りとして活発になっていった。

駅から遠い餅飯殿の通りは、どうしても人の流れが少なくなってくる。

商店街というものは、立地によって盛衰がはっきりするものだと感じるようになった。

その頃から、私はこの先の商売について少しずつ考えるようになっていた。


第五章 店を閉じる決断

子供服の店を続けながら、私は一つ気になっていたことがあった。

子供の数がだんだん減っていくことである。

将来は少子化になるのではないかと、何となく感じていた。

子供服の商売にとっては、大きな問題になると思えた。

商店街の人たちの中では、私が店を辞めたのはかなり早い方だったと思う。

しかし今思えば、その頃に決断してよかったとも感じている。

在庫整理などもまだそれほど大きな負担にはならない時代だった。


こうして私は、二十年ほど続けた子供服の店を閉じることにした。

そして次の仕事として、家の旅館を手伝うことになる。