自然の中で美の感覚は育てられる
先日、カメラマンの友人と話していてハッとしたことがあります。東京郊外に住む梅農園の主婦の絵の個展を拝見していた時に彼女が言った一言。「自然をたくさん見ている人は光のとらえ方が違う。きれいよね」
その一言は私にはストンと落ちて、あぁ、それかと思いました。最近奈良の人と話していて、美の感覚が素晴らしいとぼんやり思うことが多かったのですが、それが彼女の一言で確信に変わった気がします。
奈良では、玄関に飾る花や地元の祭の飾りなど生活の中にさりげない美がたくさんあります。それらについて、農家、サラリーマン、主婦など職を問わず、彼らがふと述べる感想が全体のバランスや色について、鋭い意見であることが多いのです。
私は奈良で育っている間、美は京都にあると思っていました。ましてや東京に出てからは、洗練されて華やかで美しい文化は都会にあり、田舎の奈良とは縁遠いのだと心のどこかで思っていたと思います。
でも最近、奈良の美しさにハッとすることが多いのです。雨の後で山々から立ち上る白い空気。触ると水がしたたり落ちそうな新緑、色鉛筆には絶対に存在しない淡い花の色、西から東まですべて見渡せる夕暮れ空、そういうものを何十年も見続けている方々が美に敏感なのは当然のことなのだと、友人の一言でやっと気づきました。
奈良では歌や書、絵、写真を趣味に持つ人がたくさんいます。奈良の暮らしは自然と切り離せませんから、そこに住む人々が名もない花、月、山、夕暮れの空に美しさを感じ、自分の手を動かしてそれを残すなんてなんと尊いことかと思います。洗練さや流行が必要とされる都会の美とは別の次元で、生活の中に美がある奈良の暮らしを私は素晴らしいと思います。
万葉集に歌われる花の種類は、
約百七十種あるのだそうです。
植物に関する歌は約二千首。
万葉花は美しさだけで愛されたのではなく
椿は呪的植物として、朝顔(ききょう)や容花(ひるがお)は
食用や薬用として
また中国から輸入した梅の実は薬に、
桜は農作業が始まる季節を告げる花として
人々の暮らしの中にあったのだということです。
(参考 万葉文化館 解説)