高松塚古墳 解体秘話 その2
昨日、あかい奈良勉強会で、高松塚古墳の解体の話を伺った話を書きました。講師の左野勝司さんは、イースター島のモアイ像修復プロジェクトにも関わられた方です。
今、解体された石材は保管中です。復元するのか、保存し続けるならどのような形式にするのか、などの今後についてはまだ具体的なことは決まっていないとのこと。
それならば、と左野さんのアイディアはそれぞれの石材を専用のケースに入れ、通路の両側に並べた美術館を造ること。石の強度を考えると、ケースは35度の角度に傾けるのが良い保存方法、と細かいところにまでプロの目は光っています。
話を通じて左野さんが繰り返し話しておられたのは、石工は石を叩くことだけが仕事ではない。図面をひき、構造を計算でき、その上で“石を叩く”ことができなくてはならない、それができて一人前だということ。
その能力を得るために、左野さんは長く厳しい修業期間を過ごされました。その方法を後世に引き継ぐ先として左野さんが選ばれているのは、実は日本ではありません。石工の養成学校をカンボジアに作り、カンボジアやインドの若い世代を次世代の石工として育てておられます。
今の日本で若い世代に託すことはできない、という言葉に対して、日本のものづくり自体が見捨てられたような悲しさは感じます。でも、左野さんのお考えはそんな視野の狭い話ではありませんでした。
「昔、百済から多くの技術が日本に伝わった。今は日本からカンボジアへ、そして何年か後に日本にろくな石工がいなくなったら、今度はカンボジアから日本に伝えてもらえばいい」そういう規模の話だというのです。
1300年の歴史を背負い、何十年も石と向き合ってこられた方だからこその言葉。3ヶ月、1年、3年後の利益のために効率的に働くことを問われる今の私には、言葉を失うしかない重みがありました。

ところで、左野さんが話しながら一番のっておられたのは、高松塚古墳を造った当時の想像の話でした。エラい人の余命が数ヶ月ということが分かると、古墳を造る責任者が木簡に寸法を出し、誰かがその木簡を持って二上山まで走って行って石切の人にお願いする。切り出した石を引っ張って持ってきて、また次の石を・・・。この仕事の合間には、サボることもあっただろうし、今でいえばタバコ一服というようなこともあり、どうやら仕事のあとを見ると寸法を間違ったとしか思えない部分もある、など、プロだからこそ当時の人を同じ仕事仲間のように親しみを感じておられるところがあり、奈良弁で語るその物語は「あいつ、またやりおったで」という噂話のような面白さがあり、会場は大爆笑のうちに講演は終わったのでした。
今、解体された石材は保管中です。復元するのか、保存し続けるならどのような形式にするのか、などの今後についてはまだ具体的なことは決まっていないとのこと。
それならば、と左野さんのアイディアはそれぞれの石材を専用のケースに入れ、通路の両側に並べた美術館を造ること。石の強度を考えると、ケースは35度の角度に傾けるのが良い保存方法、と細かいところにまでプロの目は光っています。
話を通じて左野さんが繰り返し話しておられたのは、石工は石を叩くことだけが仕事ではない。図面をひき、構造を計算でき、その上で“石を叩く”ことができなくてはならない、それができて一人前だということ。
その能力を得るために、左野さんは長く厳しい修業期間を過ごされました。その方法を後世に引き継ぐ先として左野さんが選ばれているのは、実は日本ではありません。石工の養成学校をカンボジアに作り、カンボジアやインドの若い世代を次世代の石工として育てておられます。
今の日本で若い世代に託すことはできない、という言葉に対して、日本のものづくり自体が見捨てられたような悲しさは感じます。でも、左野さんのお考えはそんな視野の狭い話ではありませんでした。
「昔、百済から多くの技術が日本に伝わった。今は日本からカンボジアへ、そして何年か後に日本にろくな石工がいなくなったら、今度はカンボジアから日本に伝えてもらえばいい」そういう規模の話だというのです。
1300年の歴史を背負い、何十年も石と向き合ってこられた方だからこその言葉。3ヶ月、1年、3年後の利益のために効率的に働くことを問われる今の私には、言葉を失うしかない重みがありました。
ところで、左野さんが話しながら一番のっておられたのは、高松塚古墳を造った当時の想像の話でした。エラい人の余命が数ヶ月ということが分かると、古墳を造る責任者が木簡に寸法を出し、誰かがその木簡を持って二上山まで走って行って石切の人にお願いする。切り出した石を引っ張って持ってきて、また次の石を・・・。この仕事の合間には、サボることもあっただろうし、今でいえばタバコ一服というようなこともあり、どうやら仕事のあとを見ると寸法を間違ったとしか思えない部分もある、など、プロだからこそ当時の人を同じ仕事仲間のように親しみを感じておられるところがあり、奈良弁で語るその物語は「あいつ、またやりおったで」という噂話のような面白さがあり、会場は大爆笑のうちに講演は終わったのでした。