小山田古墳 2015.1.18
2015年1月16日、明日香村の甘樫丘の南端、県立明日香養護学校の敷地で、一辺50m以上の方墳とみられる墳丘の一部と濠跡が見つかったという記事が新聞の一面に載りました。この時は方墳と見られるものの、小山田「遺跡」と呼ばれていました。
そして昨日(2017.8.24)、継続して調査をしている橿原考古学研究所から、古墳の横穴式石室の通路である「羨道(せんどう)」の長さが少なくとも8.7メートルあることが分かったという発表がありました。
石室も、見つかっていないものの羨道の規模から、最大級の規模と見られるとのこと。
明日、8/26午前10時から現地説明会が開催されます。
参照
日本経済新聞の記事 → こちら
橿考研の現地説明会の案内 → こちら
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今日のもう1枚
2015.1.18解説ボードより。板状の石が階段状に積んだ外装が見つかりました。
そして、年の3月、既に南に開口する横穴式石室の羨道の基底石の抜取穴と排水用暗渠などが見つかっており、その時の報道では小山田「古墳」と表記されていました。
2015年の発表当初より、被葬者も舒明天皇説と蘇我蝦夷説が語られてきました。はたして考古学的には特定に至るものが出ることがあるのでしょうか。