13年ほど昔の対談です(mixiから)
全文は無くなっていますが。
セヤドー・ウジョティカとスダンマチャーラー・ビクとの対談要約
(U:セヤドー・ウジョティカ、S:スダンマチャーラー・ビク)
1、日本の課題
U、日本人は働く以外の時間を持たないかのようです。常に働いて、働いて。
S、ある種の攻撃性というような雰囲気が今の日本にはあるような気がします。
何かとてもイライラして、不満で一杯のような。
それで何かを攻撃すると言うことに。
S、日本では家族の中でも人々が殺しあっています。
U、これは社会的な病です。
どのようにして彼らを助けることができるでしょうか。
もし私が日本人なら、質素で自然な生活に興味を持つように、本を書きます。
2、一番の問題は家族
S、日本でも一番の問題は家族にあると思います。
U、病気は体の問題だけではなく、心からも来ています。
患者を治療するには、彼の人生を理解しなくてはなりません。
S、孤独なお年寄りが問題になっています。
日本の老人達は不幸なのです。
S、死についてまったく考えてこなかったのです。
それで彼らはもう考えたくないのです。
考えたくないからスイッチを切ってしまうのです。
U、1000年前には車も飛行機もありませんでした。
しかし一緒に働き、食べ、寝ていました。
でも今は別々です。
S、お年寄りは、「自分には価値がない」と思うのです。
3、日本の心
U、日本の中にも物語りはあります。それは日本の文化です。
日本の心です。それを使うのです。
物語りを語ることは、文化の基礎です。
U、私はいつも娘に良寛さんの話をしています。
「良寛さんはこう言った・・・」と。
ですから、日本の人々に良寛さんのことを教えてあげてください。
既にこのような偉大な人がいたのです。
日本文化はとても洗練されています。
S、昔の日本文化はとても精神的で深いものでした。
しかし、この100年あるいは、第2次大戦後、日本は経済と金、金に傾き、今は混乱してます。
私たちでさえ「日本の心」が何か分からずに混乱しているのです。
4、瞑想の意味
U、「何もしないこと」の幸福。
瞑想は何もせず、何も持たず、ただ「在る」だけです。
平安、静寂であることを学ぶ。
U、リラックスし、平和で、幸福で、静かで、楽しく。
何かを得ようとする時は「エゴイスト」になっています。
S、森林僧院にいても、しているのは「何かを得よう」とすることで、これは働いていた時と同じことです。
U、“只坐る”というのは“只見る”ということと組み合わせることができますね。
S、坐るときの態度についても、“手放し、手放し”で何もつかまない態度を持つことです。
U、日本の僧は禅の中にヴィパッサナーを取り入れるべきだと思うのです。
U、日本の人々に、すべてのことを“マインドフルに”行うことを教えることができると思います。
日本の禅の伝統の中には既にそれがあるのです。
S、“マインドフル”とは何なのかを人々に分かりやすく説明する必要があります。
U、日本の人々にはバランスが必要だと思います。
働いて、金を稼いで、感覚的な喜びに浸って・・・。
人々にはそれが必要ですが、時には平和で静かな心も必要です。
S、多くの人々は、幸福というものが“執着するものに在る”と信じています。
U、お年寄り達や若い人々が元気を回復するような特別な何かを始めることです。
5、瞑想センターができれば
U、ですから瞑想センターを作ることも必要です。
多くの人々と話してみてください。
U、これは社会的な福祉のためのセンターです。
文化的なセンターです。
U、私はミヤンマーの僧も日本の瞑想センターで禅を学べたら良いと思います。
互いに学ぶことができます。双方向です。
6、仏教はナチュラリズムとヒューマニズム
U、仏教はナチュラリズムでヒューマニズムだと思っています。
U、日本の文化には、ナチュラリズムはあります。
でもヒューマニズムはどうでしょう。
そこが弱いようです。そこが弱いとすれば、危険な兆候です。
人間存在はもっとも大事です。自然も大事です。
ヒューマニズム、ナチュラリズム、仏教、禅、それらが一緒になることが必要です。
S、私は、「大乗仏教はこうで、テーラワーダはこうである。自分のところだけが正しい」と思うのは良いとは思いません。
S、今余りにも「親切さ」が欠けているからです。
互いに親切にすることが必要だと思います。
日本では家族の中でも人々が殺しあっています。
互いに憎しみあっています。
U、あなたもまず与えることから始める事ができると思います。