始めに現在私自身が様々な症状と闘病中であるために、以下の内容は闘病日記です。

私の症状に強迫思考があります。

思考への強迫は未だ止まらずかれこれ18年になります。

少し時間があったので思考の正体を少しでも解決しようとして、私自身の思考のカラクリを探りました。そしてへたばりました。

思考はある意味で情報の整理だと思います。

私個人的には思考は苦しいです。

あとはただ思考に囚われないことだと思っています。それでは。

 

 

☆ちょっとでもエネルギーと暇があって、

何かのネタ(興味や不安等)があると、情報処理(思考)し始めます。

このネタが健全であれば問題ないのでしょうが、

不健全なネタによる思考プロセスと「気づきの瞑想」は同じでしょうか?

=いいえ瞑想以前だと思います。

 

ところで何もネタがない(エネルギーと暇だけになる)と、

orじっとしていられないになりがち。

ある時は不安というネタを探したり、ネタ(不安)を作るために思考し始めます。

そこで不安探しや不安作りに思考するのではなく、何か行動に切り換えるのも「強迫思考」から逃れる一つの手段(思考の足留め)になります。

 

そもそも、何もネタがないというのは

=エネルギーと暇だけになる

=気づきが無い

=暇(怠けでもなるので注意)orじっとしてられない

=死ぬことにはならないと思います。

ですが、それでホントに良いのか?ということです。

 

そこで不安探しでもなく、不安作りでもなく、

何か特別な行動でもなく、

怠けるでもなく、

ボーっとするのでもなく、

エネルギーを持て余すのではなくて、

気づきをしましょうというのが気づきの瞑想の意図ではないかと思います。

 

落ち込んだ時は必ず見ます。

ターミナルケアを受けられているタイの瞑想実践者のカンポン・トーンブンヌムさん。「体に障害があっても、病で死を前にしても、心はさわやか」日本の皆さんのためにメッセージをくれました。

 

 

生きとし生けるものが幸せでありますように