【父~子供の頃の想い出◆エキゾティックレザーとの出会い】
現在は、蔵前でエキゾチックレザーの輸入卸と個別販売に加えて、『made in Tokyo』にこだわったオリジナル製品販売をしていますが、一般的な認知度がほぼゼロに近い『エキゾチックレザー』なるものに初めて出会った時のこと…そのキッカケを与えてくれた父のことなどをお話しします🌸
【エキゾチックレザーとは】
“エキゾチックレザー”なんていわれてもピンとこない方が大多数なのではないかと思いますが、エキゾチックレザーとは、皮革業界内で一般革と呼ばれている「牛・馬・羊・豚」などの家畜として飼育された動物から供給される皮革でない、ワニやリザード、パイソンなどの爬虫類皮革及び、それ以外の象やカバ、オーストリッチなどの希少動物からえられる皮革の事を指します。
そのほとんどは「ワシントン条約」などにより利用制限がある為、牛革などの一般革に比べて希少性の高い素材として位置付けられています。その希少性が高く、高級素材といわれているエキゾチックレザーは大きく分けて以下のように分類されています。
・爬虫類 : ワニ・トカゲ・ヘビなど
・鳥 類 : オーストリッチ・エミュー・レアなど
・魚 類 : サメ・エイ・ピラルクなど
・哺乳類 : ゾウ・アザラシ・アシカなど
・その他 : カバ・ペッカリーなどの野生動物も含まれています。
あらゆる場所に生息する希少性の高い高級素材の総称として、『Exotic leather/エキゾチックレザー』と呼ぶのです。
ちなみにExotic とは、外来の・風変わりな・ミステリアスな・不思議な…といった意味があります。
【父の話】
その昔…若い頃‘アーターミキ’という名前の会社の営業で働いていた父は、アメリカからインドなど世界中へ飛び込みで、メイドインジャパンのミシンを売り歩いていたそうで、アメリカでは現地の新聞にも載る程活躍していたそうですが、やがてその会社が残念なことになりました。
その時に当時大手だったオーディオメーカーから破格の給料でヘッドハンティングされたそうですが、悩んだ末に人から使われるのではなくて自分の足で歩きたいと思った父は、エキゾティックレザーの輸入卸会社を設立しました。
自分が産まれる1〜2年前の話だそうです。
ST貿易(株)として、エキゾティックレザー輸入卸会社を起ち上げた父でしたが、創業当時の話しを、数年前に母から聞いた話では『ST貿易』の“須沢さん”という方と父“高島”の頭文字をとった会社名だったようです。
創業当初は高田馬場に事務所を構えていたそうですが、ほどなくして入谷に引っ越しし、その頃に“須沢さん”とは袂を分かったそうです。
その後は、まだ誰も見たことがない皮革素材を求めて海外に出向き、まだ誰も行った事がない場所、仕入れ先を開拓していき、時にはブラジル政府との取引きまでしていたそうです。
東南アジアにある最大手のワニ皮の鞣し工場の社長は今でも『貴方のお父さんへの感謝は忘れた事がない』と仰っているということを、人づてに聞いて嬉しく思ったこともあります。
(当時、日本から全く見向きもされていなかった創業時に、Mr Takashimaだけが信頼して取引をしてくれていた。その後世界的に有名な工場となり、現在では世界一のワニ皮の鞣し工場となれたのは、Mr Takashimaの存在のお陰である事を我々は忘れていません。と言われて、“父の生きていた証”を感じることができて嬉しかったです。)
エキゾティックレザー業界全体の発展を心から願っていた人でした。
そして自分が小学生の頃に夏休みに父に手をひかれて、『バイトさせてやる』と言われて当時入谷にあった父の会社で、塩漬けのワニの原皮の枚数を数えさせれたのがエキゾティックレザーとの出会いでした。
ワニ皮は乾燥させてあったので、硬くてカッチカチで、大量の塩とナフタリンの入り混じったような何ともいえない強烈な印象の匂いだったのを覚えています。
でもとにかくお小遣いが貰えたことと、お昼ごはんに出前で食べさせてくれていた会社の近所の中華屋さんのチキンライスが抜群に美味しかったので会社に連れていかれることを楽しみにしていましたが、中学へと進むにつれてその回数もなくなっていきました。
(その後大人になってから、父にその中華屋さんの名前と場所を聞いて、想い出のチキンライスを食べにいったのですが、代替わりからか昔食べた思い出の味はそこにはなかったのが残念でした)
その後自社ブランド製品の製品販売に着手したりなど精力的に営業展開を進めていく中で、自分が20代の時に、父がアメリカはフロリダのタンパにアリゲーターの皮鞣し工場を出すことになり、現地の工場で働くことをキッカケとしてエキゾティックレザー業界で働くこととなりました。
以来、数十年間エキゾティックレザーにふれてきた中で感じたこと。
それは、やはり当然というかエキゾティックレザーにも流行…流行廃れがあります。
自分が働きだした頃は、バブルが弾けた直後くらいでしたでしょうか・・・
その頃は、エキゾティックレザー業界ではオーストバブルでした。
需要と供給のバランスからオーストリッチの単価が高騰し、1デシ(dm2)10cm四方 1000円にも届かんばかりの勢いでした。
丁度そのころ、ジャイアンツ巨人軍の監督をされていた、長嶋茂雄さんが着ていたオーストリッチのブルゾンの上代が300万円と言われていた記憶があります。
オーストリッチ一枚130~150dm2なので、ブルゾンを製作するために複数枚使うので革代だけで相当な金額になるわけです。
その後ほどなくしてバブルは弾けていくわけですが、既に流行が去ったエキゾティックレザーの一つに水蛇がありました。
皮革とは、レザーとは生命の軌跡、生きていた証でもあると思っていたので、何とか新しい歴史の中に回していけないものかな? と考えていました。
そして、“流行”といったものの意味を考えるようになり、そこに左右されない物を作りたいとの思いからRe-Boneを立ち上げることとなるのですが、それはまだまだ先の話になります。