Re-Bone.tokyo

Re-Bone.tokyo

こんにちは。

蔵前で『made in TOKYO』にこだわり、エキゾチックレザーを使ったオリジナルウォレットの販売をしているRe-Bone/リボーン のショップ情報に加えて個人的な事柄などを書き込んでいくつもりですので、宜しくお願い申し上げます。



2014年から2016年までの2年間に渡る、特許出願から取得するまでのお話を小説風にアレンジして執筆したので、よろしかったらご覧くださいませ。

 

 

プロローグ 傘

 中秋の名月というものを、あの年ほど長く見上げたことは、後にも先にもない。

 

 二〇一六年、九月十五日
僕は日枝神社の石段の途中で足を止めて、赤坂の街並みの向こうから、音もなくのぼってくる月をただ眺めていた。夕闇はまだ浅く、ビルの窓のひとつひとつに、暮れ残りの空が映っていた。その灰色の底から、まるい月がひとつ、静かに浮かび上がろうとしていた。

 

 その日の昼、僕は特許庁で特許料の納付をすませてきたところだった。上着の内ポケットには、受け取ったばかりの控えが一枚。ただの紙きれだ。けれど、その一枚にたどり着くまでに、僕は二年という時間と、それまでの人生でいちばん多くの「ありがとうございます」を、使い果たしていた。

 

 ――特許が、とれた。

 

 胸のなかで、何度そうつぶやいてみても、思い描いていたような歓声は、どこからも湧いてこなかった。かわりに満ちてきたのは、しんと静かな汲みたての水のような気持ちだった。冷たくて、澄んでいて、それでいてどこか満ちている。そういう静けさだった。

 

 この特許を、僕はずっと一本の傘のつもりでつくってきた。

 

 父が遺した小さな会社と、その代表を継いだ母とを、これから降ってくるであろう雨から護るための、傘。

 

 傘は、できた。ようやくできたのだ。

 

 けれど――その傘で護るはずだった人は、もう、いなかった。

 母がこの世を去ったのは、その年の五月のことだった。

 

 父が逝ったのも、中秋の名月の夜だった。二〇〇七年のことだ。それからというもの、毎年めぐってくるあの月は、僕にとって父を偲ぶよすがになった。

 

 二〇一六年の名月は九月十五日。特許の査定は、その一週間前に届いた。だから僕は、特許料を納める日を、この一日に決めていた。父を送ったのと、同じ月の下で。

 

 偶然だったのは、父が名月の夜に逝ったこと――ただ、それだけだ。その名月の日を選んだのは、ほかでもない僕自身だった。

 父が名月の夜に逝き、その名月の日に、僕が傘を仕上げる。これがただの巡り合わせなのか、それとも――そのことを、いまはまだ、うまく言葉にできずにいる。

 

 石段の上から街を見下ろしながら、僕はこの二年のことを、はじめから順に思い返していた。

 右も左もわからないまま、たったひとりで特許庁の門をくぐった、あの最初の一歩のことを。

 道の途中で出会い、名前も知らぬまま別れていった、たくさんの人たちのことを。

 そして、会ってほんの数分で、僕の心の真ん中を言い当ててみせた、あの弁理士のことを。僕がいまも、ただ“Mさん”とだけ呼ぶ、あの人のことを。

 

 ひとりでは、どこにも行けなかった。


 それだけは、はっきりとわかっていた。


 月は、少しずつのぼっていく。その淡い光が、石段を、僕の肩を、赤坂の屋根屋根を、音もなく濡らしていく。

 

 ――話は、二年あまり前の、ある小さな思いつきから始まる。

 

続きは下をクリック

 

 

続きは上をクリック